世界時計

2015-01-01

第12回、2014年12月31日のベルリンの情景

 1715分にベルリン・フィルに到着。これからサイモン・ラトル指揮によるコンサートが始まる。(敬称は略します。) 
 指揮者の後ろ側で中々理想的な席だ。二曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。自分の知っている曲だとやはり喜びも大きい。ピアニストはMenahem Pressler。失礼ながら私は名前も知らなかったが、今回のコンサートではこの人がクローズアップされている。そもそも私は音楽の専門的なことは全く分からず、ただ楽しむだけである。この曲についてはラジオやCDなどで複数の演奏を何度も聴いていたので、演奏途中で次にどんな音が来るかは何となくイメージできる。第一楽章と第二楽章はこれまで聴いたことのある演奏に近い。だが第三楽章に入るところからは、これまでと違うという印象を持つ。(もっとも、音楽に詳しい方がどう批評されるかはわかりません。)生まれて初めてこの曲を聴いているような気分になる。先入観を捨ててこのピアニストとサイモン・ラトルとベルリン・フィルによる名人芸に没入し続ける。いい思い出になったと感謝する。 
 19時前にコンサート終了。ロビーでジュースや発泡酒が振る舞われる。折角なのでグラスで二杯飲んだが真っ赤になる。いつものコンサートやオペラの時よりも華やいだ装いが目立つ。その場にいた友人・知人と談笑する。そしてそこを出る。食事をしてからブランデンブルク門を見に行くことにする。 
 ベルリン・フィルはポツダム広場とブランデンブルク門の中間辺りに位置する。この界隈は大晦日ということで部分的に歩行者天国になっている。まずポツダム広場にあるソニー・センターに向かう。気温は3度程度でこの数日では温かい方だ。同センターにある「フジヤマ」とドイツ人から呼ばれている屋根の下には、クリスマスツリーのデザインをシンプルにしたような、または円錐形の上端を切り取ったような形をした、高さ数十メートルの青い光のオブジェがある。ベルリンのクリスマス関連のサイトによると昨年に続いてのことらしいが、「星の魔法(Sternenzauber)」というコンセプトがあるそうで、多分それに基づくと思われる衣装の女性によるショーが行われている。そこをさらに通り過ぎる。花火が鳴りまくり白い煙が立ち込め、火薬臭い。大晦日のベルリンはどこでもこんな感じだ。 
 2030分ぐらいにここ数年ベルリンで流行っているVAPIANOというイタリアンのチェーン店に到着。いつも以上に込んでいて入場制限をしている。店内に入って列に並び、目の前でカルボナーラを調理してもらう。結果的に年越し蕎麦ならぬスパゲティを食べたことになる。 
 2130分ぐらいにソニー・センターに戻り、スターバックスに入店。いつもはせいぜい23時までなのに今日は深夜の3時まで開けるのかと驚く。二階に席を取ると、前面の大きい窓ガラス越しに例の青いオブジェとその周囲にある電飾の付いた数本のクリスマスツリーが見える。(下に写真あり。)店内はというと、数人から成るグループやアベック、そして子供連れの家族などが目につく。人種は様々。何となく一年を振り返ろうという気になる。今年もよくスタバで本を読んだり翻訳の仕事をしたなと思い出す。 
 2230分ぐらいに店から出てブランデンブルク門を目指す。ベレビュー通りを越えてレンネ通りに入り、エーベルト通りに到着。世が世ならばここには冷戦時代のいわゆる「ベルリンの壁」があり、またそれより前の時代には都市の城壁もあったらしい。人混みが激しい。本当はここから北側に歩いて4、5分程度のところにブランデンブルク門があるのだが、警察車両により道路が封鎖されている。門の真西となるまさにその場所にステージがある。そこから西に向かって数キロ先に戦勝記念塔があり、そこまでの道路を6月17日通りと呼ぶが、ここがパーティ会場となるのが毎年の恒例である。だからこの近くに通行規制があることは予想の範囲にある。特別その会場に行きたいわけでもないので、ブランデンブルク門の東側にあるパリ広場に行ってその門を眺めることにする。歩き煙草ならぬ歩き爆竹や歩きねずみ花火をする人がいるので、少し用心しながら歩く。 
 ヒトラーの最後の防空壕跡の前を通ってイギリス大使館のところに出るが、ここも通行止めだ。ロシア大使館の裏側を通りさらに東側に進み、そこから通り一つ北側にあるウンター・デン・リンデンという有名な道路を目指す。東西に延びるこの通りの東側には昔の王宮跡があり、現在その王宮の建物を復活させようと大々的な工事が実施されている。そして西側にはブランデンブルク門がある。 
 23時ぐらいにそのウンター・デン・リンデンに出る。コーミッシェ・オーバーというオペラ座とアエロ・フロートの建物の間のところである。だが、ここから西側方面、つまり、パリ広場の方向がまたもや警察によって立ち入り禁止とされている。この意味がわからない。とにかく人でごった返している。丁度その群衆の上空を狙うかのように斜めの角度で花火が打ち上げられる。パーンと音がして赤や青などが一色だけというシンプルなパターンがほとんどだ。加えて心臓に響くような爆音も時折ある。ところが、皆ニコニコしながらその場所で封鎖が解けるのを待っている。ここは日本ではないのである。 
 情報を集めようかという気になる。スマホで検索すると、B.Z.というベルリンの新聞には、「世界最大の大晦日パーティに関する全てのインフォメーション」とある。「深夜には11分間に6000発の花火が打ち上げられる」とか、「260人の芸能人がステージのプログラムに参加する」とある。しかし、今自分のいるこの場所に封鎖があるという情報はない。そこでベルリン市交通局(BVG)のサイトで確認すると、ポツダム広場駅からブランデンブルク門駅に地下鉄で到着可能となっている。それが本当ならばまさにパリ広場に出られるので、それほど期待はしないが一応試すことにする。「どうして今この場所から立ち去ろうとするのか」という驚きの顔が並ぶ中、人波をかき分けてその場所から脱出する。 
 多分2340分ぐらいにその場所を離れ、先ほどとほぼ同じところを逆方向に進みながら再びポツダム広場に向かう。さっきよりも凄まじい混雑となっている。その途中で警官を見つけたのでブランデンブルク門駅は開いているかと尋ねると、「いや、全て閉鎖されている」との返事。やはりそうかと思いつつ、それでもポツダム広場に向かう。そこの地下鉄の駅に到着して確認すると、ブランデンブルク門駅においては、電車は止まらずに通過してしまうようだ。予想はしていたが、やはりBVGの情報が間違っていることが確定する。(後からドイツの放送局ZDFのサイトで調べたところ、S-Bahnからは、21時過ぎの段階でパーティ会場への道路が通行止めになったというツイッターが出たそうです。) 
 駅から外に出ると、丁度カウントダウンが始まる。そして「ウォー」という周囲の声とともに新年を迎える。抱き合ったりスマホで数人で自撮りをしたり、見知らぬ人同士でハッピー・ニュー・イヤーと言い合ったり、絵に描いたような新年の光景である。レストランの店員が制服姿のまま花火に火を点けている。ブランデンブルク門の真上やその前にあるティアーガルテンという森林公園の上空に、それまでとは色の多彩さや規模の点でレベルの違う花火が上がり始める。これがその6000発なのだろう。
 レンネ通りとエーベルト通りの交差する場所、それも道路の真ん中が、一般市民による花火の打ち上げ基地と化している。色の点では相変わらず単調で火薬の白煙の中を火花が飛び交うだけのようなものだが、「ヒュルルルー」、「バチバチバチ」、「シュルルルーパン」、「ズドン」と鳴り続ける。そして足元では時折、割れたビール瓶が転がるときの「チャリチャリチャリ」という音がする。パトカーや救急車のサイレンの音がそれらに加わる。帽子をかぶっているから熱くないのか、火の粉を浴びながら次の花火を準備する人もいる。たまにロケット花火が超低空飛行をすると笑い声が起こる。大多数はそれらを遠巻きに眺めているが、中には郵便ポストの上で立ち上がったり、街灯によじ登ったりして見物する人もいる。日本人の目から見れば、暴動でも起きたのかというような光景である。南ドイツのフライブルクからベルリンに引っ越して来た最初の年には、こういう場合に身の危険を感じたものだと思い出す。しかし今ではビクビクするよりも「ベルリンらしいな」という気持ちの方が勝る。
 深夜0時30分頃に、ブランデンブルク門の真横にあるステージへの封鎖が解除され、やっとのことで到着。スタバを出てから2時間かかったことになる。ステージの正面の辺りからカラフルな光線が飛び交い、巨大なモニターにはDJらしき人が映し出されている。6月17日通りは2時ぐらいまではこの調子だろう。 
(その後知人のところに向かい軽くお祝いをしました。反対側すなわちブランデンブルク門の東側にあるパリ広場も同様に0時半ぐらいに封鎖が解けていたようで、そして封鎖をするという事前予告はなかったとのことです。ベルリンの人口自体は350万人程度ですが、この日も昨年同様100万人以上がこのパーティに集まったらしいです。)
  
 ということで、7時間以上に渡って色々な意味でのベルリンを満喫した。まずまず楽しかった。




 (スタバの二階から窓ガラス越しに見る青い光のオブジェ)

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