目次
1、初めに
2、9月までの流れ
3、ドイツ版デカップリング政策の前兆
4、対立するEUと中国の板挟みになるメルケル首相
5、メルケル首相と安倍元総理の会談
1、初めに
ドイツが政治経済の面でどの方向に進んでいくかを扱ってきましたが、9月には大きな動きがありました。私の方はと言うと、ヘーゲルの「本質とは無から無への運動である」という言葉の解釈に1月からずっと携わり、それが9月末にやっと形になりました。そこでドイツについての記事をまとめて出そうとしていたら、ベルリンに例のいわゆる「慰安婦」の像が建ち、そちらを先に扱いました。
今回は「中国から離れつつあるドイツ、その5」というタイトルにします。第42回「中国から離れつつあるドイツ、その4」の冒頭では次のように書きました。「メルケル首相から重要な声明が出るようなことは当分ないと思います。つまり、外交や政治の部分では当分動きはないでしょう。」ところが、9月と10月に少しその動きが出始めたのです。本来ならば三回ぐらいに分けるべきところを一度にまとめます。
ここまでは先週ぐらいに書いていたのですが、川口・マーン氏の「ドイツ政財界が『中国の独裁政治』を問題視しない残念な理由」(脚注1)という記事が10月23日に出ました。とても興味深い記事でこれについての感想を含めるかどうかを迷っているうちにまた日にちが立ちました。今回はあまりそれを意識せずに書いていきます。
2、9月までの流れ
三つ前の「第43回、ドイツの情勢、その1」のところで4月以来の流れをまとめてありますので、詳しくはそちらをお読みください。少なくとも7月22日以降は、中国と距離を取るときにはマース外相が談話を発表し、メルケル首相はタッチしないという図式が確立しています。自身を中国に対する最後の調整役と位置付けていたのでしょう。
3、ドイツ版デカップリング政策の前兆
ブルームバーグの9月2日付の「『脅しはふさわしくない』と独外相-チェコ訪台団威嚇する中国外相に」(脚注2)という記事から引用します。中国の王毅外相は「1日、マース独外相と共にベルリンで50分間に及ぶ記者会見に臨んだ。そこでマース外相はチェコ外相と電話会談したことを明らかにし、欧州に脅しは通じないと強調した」。
この翌日、つまり9月2日には、ロシアの野党勢力指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏がロシア政府によって毒殺されかけたのではないかという疑惑が浮上しました。この時にはメルケル首相自身が直接声明を出してロシア政府を非難しています。習近平主席への態度との違いが際立ちました。
この9月2日にはさらにドイツ連邦政府が「インド太平洋ガイドライン」を発表しました。Welt紙から同日付で出た「ドイツの新しい中国プラン」という記事(脚注3)は、上記のマース外相と王毅外相との会談を踏まえながらこのガイドラインを説明しています。それによると、このガイドラインは「ドイツの中国政策の方向転換を示している。今後、ドイツは日本、インド、インドネシアなどのアジア諸国とより緊密に連携したいと考えている。そして中国。しかし、[ドイツにとっての]唯一の国としてではない。このことは中国がドイツの最重要通商パートナーであるだけに注目に値する。ベルリンは関係を多様化し、自身の存在をより広く示し、そして更なる自由貿易協定を締結することを意図している。そしてこれは、もはや中国には依存しないためでもある。」
第一に言えることは、中国に対して強く出るときにはマース外相が担当し、メルケル首相は出てこないという傾向が継続していたことです。確かにドイツと中国の外相同士の会談ではありましたが、とにかくメルケル首相が直接中国を非難することはありませんでした。
日本政府は安倍前総理の任期中にデカップリング政策を打ち出しました(脚注4)。ドイツは今回の方針転換により、自国の企業に対して中国からの脱出を奨励するところまでは進んでいないものの、政府の側でその準備を始めたという見方ができるでしょう。9月2日は大きな転機となりました。
4、対立するEUと中国の板挟みになるメルケル首相
既に「第42回、中国から離れつつあるドイツ、その4」で取り上げたように、本来は9月にドイツのライプチヒでEU中国サミットが開催される予定でした。この会議でのEUと中国の投資協定の妥結がメルケル首相の宿願ですらあったのに、コロナ騒動のために延期になりました。
そして9月14日にビデオ会議の形でEU中国首脳会談がありました。ドイツの公共放送局ARDの午後8時からのターゲスシャウというニュースについては「第37回、中国から離れつつあるドイツ」以降で何回か取り上げましたが、今回は9月14日の放送分に関するドイツ語のテキスト(脚注5)を和訳しながら取り上げます。表題は、「投資協定に関する会議、EUは中国からの譲歩を要求する」です。
この記事の冒頭には全体の総括が太字で記されてあり、これがまさに我が意を得たりでした。「人権、気候保護、『安全保障法』―EUは中国に政治的方針転換を求める。その後でならば計画された投資協定に関する交渉を終えることができただろう。」つまり、経済よりもさらに根本的な安全保障レベルの問題が重視されたということです。
この会議では「EUの中華人民共和国に対する貿易及び経済関係が重要項目となっていた。新疆ウイグル自治区の人権の状態と香港の状況についても議論された。すべての問題について双方が同意したわけではなかった。」ここまでの部分についてはほとんど合意事項が無かったことが予想されます。
続いて表題にもある投資協定についてです。「しかし、EUと中国は、予定されていた投資協定に関する交渉を加速したいという点では同意した。2014年から進行中の交渉を年末までに締結することが目標である。欧州委員会委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエンは、その実現のためには北京は例えばEU企業の市場アクセスというテーマに取り組むようにと要請し、またしかし交渉が進展しているということも確認した。」何とも歯切れの悪い表現ですが、要するに中国はEUからの要求に応えていないが、EUは中国を見放してはいないということです。
同氏によれば、三つの根本的な論点について中国から譲歩を得られたそうです。「一つ目は中国政府の自国企業への影響力が弱まったこと。さらに中国が要求していた技術移転の問題に関して、そして中国国有企業への補助金の透明性がより高まったこと。これは重要な前進だ。」そしてビデオ会議の後に、投資協定はEUにとって価値あるものであることを、中国はEUに納得させる必要があると語ったそうです。
この記事の中にはメルケル首相自身の感想はありません。モルゲンポスト紙はこの件についてのDPAの配信記事を掲載していますがそこにもありません(脚注6)。「第42回、中国から離れつつあるドイツ、その4」ではニュース週刊誌のシュピーゲルを取り上げましたが、メルケル氏はこのサミットが「行われることを是が非でも望んでいる」とありました。その結果がこうだったのですから、さぞかし頭を抱えたのではないかと想像します。この会議も大きなポイントでした。
5、メルケル首相と安倍前総理の会談
産経新聞から10月6日付で「〈独自〉安倍前首相が独メルケル首相と電話会談」(脚注7)という記事が出ました。「電話会談はメルケル氏の求めに応じたもの」だそうです。「安倍晋三前首相は6日午後、ドイツのメルケル首相と電話会談した。日本が提唱する『自由で開かれたインド太平洋』の実現に向けた連携や、新型コロナウイルス対策などで意見を交わしたものとみられる。」これが本当ならば、メルケル首相の方向転換と言えるでしょう。中国の嫌がる事柄についてメルケル首相が積極的に話題にしたことになり、珍しくメルケル氏自身が中国を批判したような格好になるからです。但し、同じ産経新聞からその翌日に出た記事(脚注8)によると、「まずは体調に万全を期していただきたい」とメルケル氏が伝えたというようなごく当たり前の会話に留まったのかもしれませんが。いずれにせよ産経新聞からは6日の記事についての訂正は出ていない模様です。この記事の重要度は非常に高いはずなのに、ネット上でほとんど取り上げられていないことが実に不思議です。
6、ドイツが中国から離れる必然性
やはり事態の進展が速いです。メルケル首相の習近平主席との個人的なつながりを除くとドイツの中国離れは加速しています。そしてその最後の絆もかなり際どくなってきました。
折しも10月27日に「中国、2035年全て環境車に 通常のガソリン車は全廃」(脚注9)という記事が日経新聞から出ました。気候保護の観点では頑張るようです。さりとて人権問題や安全保障法の点で習主席が折れるとは考えられません。そしてこれらの問題での改善無しに、経済的利益のみでEUが動く時期は過ぎたようです。そもそも現状では投資協定の価値すら疑われています。ドイツがEUの一員である限りこの趨勢に逆らうことは不可能でしょう。
「第43回、ドイツの情勢、その1」の中で、なぜドイツが中国から離れられないのかについて触れました。ヨーロッパのドイツにとって極東アジアの情勢は基本的に関心の外にあり、そしてNATOとEUの一員である限り安全保障は万全です。コロナの件を除けばドイツは従って平時であり、中国とのビジネスに没頭することは国益にかないます。ところが今回のビデオ会議により、EUが中国ビジネスに格段の価値を見出さないということがはっきりしてしまいました。それと同時に国土や国民を守るという安全保障に関する側面と人権問題などの価値観の側面とに比重が移り、中国がその点でEUと対立することも明らかになりました。ドイツがEUの枠内にある限り、これまでとは反対に中国と離れる条件が整いつつあります。
マース外相によって公表された「インド太平洋ガイドライン」と日本による「自由で開かれたインド太平洋」というコンセプトがメルケル首相と安倍前総理との会談の中でつながったならば、経済と安全保障の両面で中国を包囲する体制になるかもしれません。
これから中国が逆転するのは難しいでしょう。
脚注1:
ttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/76661
脚注2:
ttps://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-09-02/QFZJV6T0AFBB01
脚注3:
ttps://www.welt.de/politik/ausland/article214907604/Indo-Pazifik-Leitlinien-Deutschlands-neuer-China-Plan.html
脚注4:
ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20200407/k10012371511000.html
脚注5:
ttps://www.tagesschau.de/ausland/videokonferenz-eu-china-101.html
脚注6:
ttps://www.morgenpost.de/politik/ausland/article230411402/Merkel-und-EU-Spitzen-beraten-mit-Xi.html
脚注7:
ttps://www.sankei.com/politics/news/201006/plt2010060029-n1.html
脚注8:
ttps://www.sankei.com/politics/news/201007/plt2010070029-n1.html
脚注9:
ttps://www.sankei.com/politics/news/201007/plt2010070029-n1.html