世界時計

2016-09-02

第32回、ドイツにおける日本文化としての日本食について


 多くの日本人の方々には、海外の日本食レストランがどういうものかというのはイメージしにくいことでしょう。日本食がヨーロッパの人々に受け入れられるはずはないと決めつけている方もいらっしゃるかもしれません。もしドイツの肉料理と日本食を比較するなら、質的にも量的にも大きく異なることは明らかです。

 私は1997年から1999年までは黒の森で有名な南ドイツのフライブルクに住んでいました。この町はドイツ人にもまた日本人にも人気がありますが、都会ではありません。当時は日本食のお店は皆無でした。中国レストランで麻婆豆腐やワンタンスープを食べるときに、日本での食事を思い出していたものです。 
 確か普通のドイツレストランや中国レストランなどで、週に一日だけ一つか二つぐらいの日本食メニューを出すなどということがありました。そう言えばあの頃に寿司の写真集を見たことがあります。美しい食器と一緒に寿司が写っているのですが、実際にきれいな色合いでした。見て楽しむものとしての寿司という発想はそれまで無かったので、実に新鮮でした。 
 あれはベルリンに引っ越す直前ぐらいの頃でした。あるカフェで水曜日だけSushiを出すという話を聞き、行ってみました。日本人の作る「寿司」とそうでない人の作る「Sushi」とは違うだろうという気持ちが先に立ち、「これから寿司を食べるぞ」という期待感よりも、「これから未知の体験をするぞ」という緊張感の方が上回っていました。ところが、それなりに食べられたのです。これは予想外でした。 
 段々リラックスしてきて、「今自分は昔懐かしい寿司を食べているんだ」という気持ちになった頃合いに、鉄火巻を口に入れました。いや、鉄火巻だと思ったのです。「ガリッ」という鉄火巻には似つかわしくない歯ごたえがした後、数秒間頭が真っ白になりました。シャリとマグロと海苔を同時に噛むことによって歯が欠けたりするものだろうかなどという奇妙な自問自答をしながら、舌で恐る恐る感触を確かめると、シャリに混ざって少し硬いものがありました。そこで気づきました。今口の中にあるのは、マグロではなくニンジンスティックだということを。 
 多分コックさんは写真を見て作ったのでしょう。私自身その巻物を口にいれるまでは、シャリの中にある赤いニンジンをマグロだと信じていました。日本的感覚からすればニンジンを細く切ってシャリの中に入れて醤油で食べる寿司というのはありえませんが、ドイツ人にとってはマグロをあんな形に切るということがありえなかったのでしょう。ポジティブに考えるならば、マグロの握りとニンジンスティック巻の両方を楽しめたとも言えます。そしてコックさんは本気でそう思ったのでしょう。
 私がベルリンに引っ越した後に、フライブルクにも立派な日本食レストランができました。私も十年ぐらい前に立ち寄ってみましたが、料亭のような店構えだった記憶があります。あの時にはある方からご招待を受けてお寿司を食べましたが、とても美味しかったです。ちなみに、ニンジンスティックのお店は無くなっていました。あのカフェ自体は割合人気があったはずですが、何か事情があったのかもしれません。

 1999年の9月ぐらいにベルリンに引っ越しました。その時点ですでに様々な日本食のお店が数十件もあり、やはりベルリンは違うなと感心したものです。同じものを日本で食べたら半分ぐらいの値段かなと思うことも多々ありましたが、しっかりしたお店がたくさんあるだけで私にとっては感動ものでした。 
 この10年ぐらいのベルリンにおけるアジア系レストランの傾向としては、中国レストランがタイ・ベトナムレストラン(タイ料理とベトナム料理の両方を扱うという意味)に取って代わられるケースが目につきます。中国レストランが存続する場合でも昼にバイキングを導入するパターンが増えました。また、アジアレストランという名目でタイ料理、ベトナム料理、中国料理に加えてUdonTeriyakiなどの日本料理を提供するお店も出てきました。中国レストランの減少についてはピークを過ぎただけという見方が正しいのかもしれませんが、とにかくこういう傾向の中にあって日本食レストランについてはまだまだ勢いがあるようです。 
 これは聞いた話ですが、ベルリンにはSushiを注文できる店が1000件以上あるらしいです。人口約350万人のこの町に日本人の板前さんがそんなにいる訳ではなく、多くのアジア系のレストランが取り敢えずメニューにカリフォルニアロールや鮭の巻物などのSushiを加えているという話です。私の印象では、今から15年ぐらい前辺りに急にSushiという文字を町中で見る機会が増えました。それでもニンジンスティックに匹敵する強烈なSushiの話をベルリンで聞いたことはないので、寿司の研究もそれなりに進んでいるのでしょう。 
 次の話はドイツ人についてという訳ではありませんが、欧米系の人々が初めて日本食レストランに入ってお寿司を注文する時の様子がよく表れているので書いてみます。
 3週間ぐらい前の平日の夕方にある日本食レストランに行きました。私は仕事帰りだったのでスーツにネクタイという格好でしたが、フリードリヒ通り沿いという繁華街の真っただ中であるにもかかわらず、ネクタイをしていたのは広い店内に私だけでした。ベルリンであってもネクタイをするドイツ人は少ないのです。店内はほぼ満員で、8人が一緒に座れる場所の片隅に1人で座っていると、如何にも夏休み期間旅行中といった高校生らしき一団が近づいて来ました。男子2人、女子5人という構成でした。英語で相席してもいいかと尋ねられ、オーケーしました。自分達同士で話すときの言葉はスペイン語のようでした。 
 何となくこちらを観察している様子です。向こうからすれば「律儀にネクタイなんか締めているこの日本人は何をどう注文しているのだろう」という気持ちで一杯だったのでしょう。もしくは、サファリパークの中で動物と一緒にテーブルに座っているような感じだったのかもしれません。 
 そしてその中の一人がとうとう英語で質問してきました。私が食べているものは何かと聞かれ、豚丼と鮭汁だと答えました。そう、よりによってその時には豚丼にしていたのです。本当は寿司がメインの店ですが、とにかく空腹でご飯を腹に詰め込まないと気が済まなかったのです。もうちょっとお寿司屋さんらしいものを注文しておけばよかったと後悔しました。美味しいかと聞かれ、豚肉と玉ねぎが入っていて美味しいと答えました。日本食に対する常識が一切無さそうな相手なので、そう答える以外にありませんでした。
 次に他の一人がメニューを持ちながら、どのように注文するべきかと聞いてきました。このお店は全般的に日本での値段と比べても割合リーズナブルな価格設定です。相手は未成年だと意識していたので、鮭丼などの丼物がお勧めだがお寿司だとちょっと値が張ると答えました。Anagoとは何かという問いに対してeel(ウナギ)に近いと答えるなどの質疑応答が続き、それから7人によるスペイン語らしき言葉での会議が始まりました。そしてドイツ語を話す店員に合わせて片言のドイツ語で注文していました。まあこういうところはヨーロッパならではでしょう。
 驚いたことにさっき私に質問してきた人がわざわざ大きな器に入ったその豚丼を注文していました。私に対するリスペクトなのでしょうが、日本人と一緒に日本食の店で同じ日本食を食べたという思い出づくりもあるかもしれません。そしてメンバー全体ではお寿司と幾つかの単品を注文していました。この人たちの母国でも多分寿司は知られていて、ベルリンという国際都市に来たついでにJapanの寿司も食べてみようというのが入店のそもそもの動機だったのかもしれません。(但し断っておきますが、ベルリンは東京と比べるならばまさしく田舎です。緑地と河川が多く、町の真ん中に野ウサギが出たり、外れの方にはイノシシやシカも出ます。) 
 チラチラ見た感じでは、一応皆さん満足しているようでした。もしここであのニンジンスティックが混ざっていたら「なるほどこれがTekkamakiか、中々美しい」などと納得していたのでしょうが、もちろんそういうことはこの店ではありません。

 日本国内で日本食を出しているレストランは、中国レストランでもイタリアレストランでもないという意味においては「日本食レストラン」と呼べなくもないのかもしれませんが、上記のような雰囲気の場所は日本には滅多にないでしょう。ドイツではこういう場所で好奇心旺盛な人々や知日派が日本文化に親しんでいます。
 日本食はドイツにおいて順調に受け入れられていると実感しています。特に最近のベルリンには健康志向の人やベジタリアンが増えてきていますが、日本食レストランの場合だとそういう人でも注文できるメニューがあるそうです。実際にヴィーガン専門の日本食の店も登場しています。Sushiに関して私が個人的に感心しているのは、そもそも生魚を食べない人であってもSushiだけは試してみようと頑張る人が多いことです。日本食レストランの寿司に限らずそれ以外の店で出てくるSushiであっても、そういう不思議な魅力があるのです。 
 日本食一般の話に戻すと、昔は蕎麦やうどんを食べるときのあのズーズーという音を気にしていました。しかし最近ではこれも日本文化の一つと割り切ることにしています。その反対にもし私が他のドイツ人の真似をして、レンゲの上に麺とおつゆを載せて一気に食べるなどということをしたら、その方が間違いでしょう。私の友人の中にはそれどころか、日本食レストランでドイツ人男性に麺類を食べさせ、いい音が出るまで練習させたというツワモノもいます。もっとも私自身にはそこまでの勇気はありませんが。