世界時計

2016-02-16

第28回、『裸の王様』について、その1

 ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805年4月2日 - 1875年8月4日)の『裸の王様』を知った最初のきっかけは、多分子供のころに観たテレビアニメかあるいは絵本か何かだと思う。アンデルセン自身はデンマークの童話作家だが、日本国内でもこの短編作品はほとんど常識と言っていいだろう。但しネットで検索した限りでは、子供にお勧めの作品というよりも、大人にとって参考になるものだという意見が目立つ。 
 青空文庫に収録されているので今回読んでみたが、登場人物の心の動きがリアルで読み応えがあり、また短いストーリーの中に実に緻密な論理展開があることに感動した。こんなに面白い作品だとはまったく想像していなかった。そこで、考えをまとめてみることにした。 
 原作を読んでみて気づいたのだが、この作品は誤解されて伝わっている。例えば大辞林の第三版では、「裸の王様」という言葉は次のように解説されている。「直言する人がいないために、自分に都合のいいことだけを信じ、真実を見誤っている高位の人を揶揄する表現。」確かにこのような意味合いで「裸の王様」という言葉は使われているので、辞書の説明としては間違っていない。しかし、原作での王様は布の制作の進捗状況を自分の目で確認し、それが存在しないことに気付いている。それでも布は存在すると言わざるを得なかったところがポイントになっている。 
 さて、本来ならばその青空文庫版をテキストにして考えたいところであり、原則としてはそうするのだが、今回は少々細かい事情がある。この物語のオリジナルはデンマーク語であり、それを英語に訳したものを底本とし、それをさらに日本語に訳したのがこの青空文庫版ということだ。この底本がどうやら私の持っているドイツ語版の本やネット上にある英語版と違っているようなのだ。この二つの内容は大枠で一致し、そして青空文庫版にはこれらと比較した時に抜けている個所や意味の異なる個所がある。したがってそのような場合には独訳と英訳の内容を優先し、私の方で和訳して角カッコ([]のこと)を付けながら引用する。(独訳はInsel Taschenbuchから出ているAndersen Maerchen 1 it 133。英訳は以下のサイトから。http://www.andersen.sdu.dk/vaerk/hersholt/TheEmperorsNewClothes_e.html)  
 こういういきさつもあり、今回はまず作品全体の基礎的な解釈だけを出し、次回以降でこの作品をきっかけとして考えたことを書いていく。
  
  王様は「ぴっかぴかの新しい服が大好き」である。[自国の兵隊]や「おしばい」やまた[馬車で森にいくこと]にも興味がない。つまり、普通の王様にとっての実務や趣味には関心がない。いつもいる場所は[議会]ではなく「衣装部屋」である。いわゆる王様らしさがなくて美しい服のことしか分からないということだが、これがこの後の展開の伏線になっている。 
 王様の住む町は「いつも活気に満ちて」いる。そこに二人の詐欺師がやって来る。「自分は布織職人だとウソをつき」、「世界でいちばんの布が作れると言いはり、人々に信じこませ」ることに成功する。「とてもきれいな色合いともようをしている」が、「自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人にはとうめいで見えない布」だと言う。 
 こうしてその服が見えない場合の二つの条件が提示される。ここでもう一つ注意すべきなのは町の人々がすでに騙されていることである。その二人が素晴らしい布織職人であることはもはや町の中の常識なのである。 
 その話を聞いた服好きの王様は次のように考える。「もしわしがその布でできた服を着れば、けらいの中からやく立たずの人間や、バカな人間が見つけられるだろう。それで服が見えるかしこいものばかり集めれば、この国ももっとにぎやかになるにちがいない。さっそくこの布で服を作らせよう。」 
 アンデルセンの作品には『おやゆび姫』のように現実にはあり得ない設定のものもあるので、この作品世界の中でもこういう布は存在しうるらしい。王様に対して好意的に解釈するならば、確かにこういう道具が本当にあれば人事に客観性が出るだろう。でも本来は王様自身にある程度そういう人物評価の能力が備わっていてしかるべきであり、王様はそういう能力を鍛えようとする代わりに道具に頼ろうとしている。その一方でこの王様は美しい服が何より好きである。したがってこの服は王様の二つの要望に合致している。 
 自称布織職人に服を依頼した後で、王様はその進捗状況を確認したくなる。「もし布が見えなかったらどうしよう」という考えがちらつく。ここで作品の中の語り手が王様の心情を説明する。「王さまは王さまです。何よりも強いのですから、こんな布にこわがることはありません。」それでも王様は用心して、「けらいの中でも正直者で通っている年よりの大臣」を選び、はた織りの仕事場に派遣する。「この大臣はとても頭がよい[し、彼以上に職務を果たす人は他にいない]ので、布をきっと見ることができるだろう」という判断だった。したがって、この大臣自身も、自分には必ずその布が見えるはずだと頭から信じていたことだろう。他方では、この年配の大臣にファッションへの関心があるとは考えにくい。 
 現場についた「人のよい年よりの大臣」に対して自称布織職人は、「からのはた織り機」を指さしながら、[素晴らしい模様でまた美しい色ですよね]とたずねる。ところが布が見えないので大臣は呆然とし、自問自答が始まる。[「自分はバカなのだろうか、これまでそんなことは考えたこともなかったが、これは誰にも知られるわけにはいかない。今の仕事に相応しくないのだろうか。いや、布が見えないなどと言うわけにはいかない。」]二人の詐欺師から布についての感想を急かされた時に大臣は、[「いや、これは美しい、ほれぼれする」][「この模様にそしてこの色、私はとても気に入ったことを王様に伝えよう」]と言ってしまう。詐欺師は布について詳細に説明するが、大臣はそれを注意深く聞きその通りに王様に報告する。 
 王様は状況の確認のためにさらに別な人間を任命する。「根のまっすぐな役人」だが、「しかし、役人も大臣と同じように、見えたのはからっぽのはた織り機だけ」だった。この役人はまず、[「自分は断じて愚かではない」]と思う。[「ということは自分にふさわしくない仕事をしているのだろうか。それはありえない。でもこのことを誰にも知らせるわけにはいかない」]と考える。見えてもいない布についてその場で[美しい色で優雅な模様だ]と褒め称え、王様にも[「ほれぼれしました」]と伝えた。 
 町ではその噂でもちきりになる。今度は王様自身が「たくさんの役人」を連れて見学に出向く。この中には先の二人も含まれている。二人の詐欺師は熱心に仕事をしている芝居をする。そして前にここに来た大臣と役人の二人が[「見事でございましょう」]と褒め始める。[「陛下、こんなにも素晴らしい模様と色でございます。」]語り手による次の一文は重要である。「そして、二人はからのはた織り機をゆびさしました。二人は他のみんなには布が見えると思っていたからです。」 
 この時点で四人の人間が服を「見ている」ことになる。他にも役人たちがいるが、彼らは王様の出方をうかがっているので取り敢えず黙っている。もちろんこの二人の詐欺師は優秀な職人として町では有名になっている。王様は完全に外堀を埋められてしまった。 
 王様は心の中でつぶやく。[「何だ。何も見えない。これはひどい。私は愚か者か。王として相応しくないのか。こんなに最悪の事態が起こるとは。」]そして口に出して言った。[「これは素晴らしい。」]語り手がここでも王様の意図を読者に伝える。「何も見えないということを知られたくなかったので、からっぽでも、布があるかのように王さまは見つめました。」その後で残りの家来も王様に続いた。
 この「布」からできた「服」を着て王様はパレードに出る。詐欺師によると蜘蛛の糸と同じくらい軽いそうだ。町の人々は熱狂的に王様の服を絶賛する。語り手が人々の気持ちを解説する。「だれも自分が見えないと言うことを気づかれないようにしていました。自分は今の仕事にふさわしくないだとか、バカだとかいうことを知られたくなかったのです。」 
 ここで小さな子供がしゃべる。[「でも、王様は何も着ていないよ。」]まずはその子供の父親が叫ぶ。[「なんてことだ。無邪気な子どものたわ言なんだよ。」]すると誰もが次から次へと子供の言葉を伝え始める。[「王様は何も着ていないぞ、あそこにいる小さな子供が言ってるのだが、王様は何も着ていないぞ。」]ついには全員が[「王様は何も着ていないぞ」]と叫ぶ。バカと言われたり仕事を失うことへの恐れがないので子供は見たままをしゃべったのだが、大人は子供の責任にしながらその言葉を伝え、服が見えないという自分の感覚に徐々に正直になっていった。 
 王様も皆の言う通りだと思って震えたが、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない」と考え直し、「そのまま、今まで以上にもったいぶって歩」く。服が見える私だけが賢くまた王に相応しいのだというポーズである。 

 以上が全体についての基本的な解釈である。次回は「正直な人が嘘つきと一緒に嘘をつくまでの過程」を考える。

(2016年3月2日に大辞林からの引用を加筆しました。)