世界時計

2014-12-20

第11回、フロートもしくはアイソレーション・タンクについて、その4

 お気に入りだったフロートのお店は、残念ながら今年の六月末で閉店となってしまった。もうこの店に通えなくなると知った時はとてもショックだったが、気を取り直して、五月から六月にかけて最後の実験を試みた。 
 少なくともタンクを使えば自分の意識を前記(第10回参照)の「覚醒と睡眠の中間状態」に持っていけるようになった。今度はこれから出発して、覚醒しているときの意識を自分でコントロールできるかどうか実験してみた。 
 一つ目は語学に関するものである。語学の習熟度の基準として、その言語で夢を見ることができるかどうかというのがある。ドイツ語で夢を見る場合、その途中で、眠ったままではあっても本気で考え始め、頭が疲れてしまうという悪い癖がついてしまった。そこで、フロートの時にドイツ語だけで考えるようにしてみた。とは言え語学的には簡単で、リラックスなどの表現をドイツ語で考え続けるだけであり、日本語断ちと言った方が正確だろう。これをやって頭が疲れ始めたら失敗という基準でやってみたところ、首尾よく覚醒と睡眠の中間状態になった。
 その直後に映画を観に行った。いつもよりもスムーズにドイツ語を理解できたように感じた。パソコンに例えるならば、日本語のウィンドウズ上にドイツ語のソフトを動かすのではなく、ウィンドウズ自身を部分的に日本語からドイツ語に書き換えた上でドイツ語のソフトを走らせるようなイメージである。 
 ただ、やはりというか、マイナス面も出た。ドイツ語で「請求書」のことを「レヒヌング」というのだが、日本人と日本語で電話をしているときにこの二つが混ざり、「請求書」と言うつもりが「レキュウショ」となってしまった。多分「霊柩車(レイキュウシャ)」という単語も混ざったのだろう。日本語を話していて日本語の単語とドイツ語の単語が混ざったのは生まれて初めてだったので、とにかくこの実験に何らかの効果があることが皮肉な形で証明されてしまった。 
 閉店の期日が迫って来たのでその次の回には別の実験をした。仕事で忙しいときなどはどうもネガティブなことばかり意識に浮かぶので、そうならないように自分をコントロールするというものである。ただ、これは複数回やらなければ効果を確認できないのに、二回目を試そうとしたときには残念ながら閉店となってしまった。
 電話で予約を取るときに来週で閉店だと聞いたのだが、店主とはいいお別れが出来た。こちらのニーズを本当によく理解しまた協力してくれた方だった。向こうからしても二十回近く通った客というのはそんなにいなかったのだろう。

 そしてあれから半年近く経過した。他店を試す気にならないため、すっかりご無沙汰になった。今回は一ヶ月近くにわたってフロートのことを思い出しながら書いてきたが、その度ごとにあの感覚が多少復活することがわかった。タンク無しにはあの効果は不可能だと信じ込んでいたが、そうでもないようだ。「覚醒と睡眠の中間状態」を思い出すだけで腹式呼吸に変化するが、さらに頭が楽になることもある。 
 しかし一番驚いたのは、単に中間状態をイメージするだけで、この年まで気づかなかった自分の癖や弱点及びその克服方法が閃いたりすることだ。これは多分、中間状態のときに自分の意識の深い部分を自分でリライトしているからではないかという仮説を立てている。(または単にこの問題について考える機会が増えたからかもしれません。) 
 自分で「自分の意識」を意識するという話だが、「自分の意識」には階層があると想像している。何かのきっかけで気分が明るくなったり暗くなったりすることはあるが、こういう表面的な意識の変化は常に起こり続けると言えるだろう。ところが言葉を初めて覚えた幼児の頃の意識は、ある程度は消えずに心の奥底に残っていると考えている。つまり、何が起ころうとも主として意識の表面が変化し、その奥底はあまり変化しないということである。そしてその意識の深い部分を思い出すことは、普通は極めて困難である。
「覚醒と睡眠の中間状態」の意識とこの幼児の時代の意識とは、両方とも意識の発生の話であるという共通点を持っている。幼児の頃は人生で初めて意識が発生し、「覚醒と睡眠の中間状態」においては意識がその度ごとに改めて発生するということである。はるか昔の意識を呼び起こすことは難しいが、それとつながっている中間状態の意識を自覚することにより、その心の奥底の意識を変化させられるのではないかというのが現時点での仮説である。幾つかの実験により自分の言語能力や記憶力に影響が出たことがその根拠である。 
 いずれにせよ、「今まで自分はこんなことにこだわっていたのか」とか、「なぜ自分は今までずっとこれをしなかったのだろう」といったことが見えてきた。しばらくはこの調子で自分の意識の変化を観察していくことにする。

2014-12-12

第10回、フロートもしくはアイソレーション・タンクについて、その3

 今回はフロートの際に試した実験について思い出してみる。
「意識をなくすように意識を向ける」というのが基本的な方針だった。これは中々難しかったが、そのうちコツをつかんだ。普通の意味のリラックスという目的から、とにかく最初に一度眠るということを心がけていたのだが、中々うまく行かないときがあった。「今日は眠れないな」という意識を持ちながら数分過ごしていると、意識が割合はっきりする時点が再び訪れる。このときに、「さっきは『眠れない』と思いながら実は眠っていたのだ」と気付くことがよくあった。ここは表現が難しいところだが、少なくともあの状態は普通の意味の覚醒状態とは若干違っていた。
 これが数回起きた後で、最初に一度眠ることよりも、この「『眠れない』と思いながら眠っている状態」を目指すようになった。目標地点が定まると達成も容易になる。そして今度は逆のパターンが生じた。「自分は今目覚めている」という意識を持っていたときに、意識をよりはっきりさせようとしたことがある。そのとき、その瞬間までの自分は、「自分は今目覚めている」という内容の夢を見ながら眠っていたようなものだったと気付いた。
 両方とも「起きているつもりだが実は眠っている状態」なのだが、覚醒から睡眠に向かう途中の状態と、その反対の状態と言える。これらをまとめて「覚醒と睡眠の中間状態」と呼ぶことにする。これを体験できた段階で「意識の実験」としては一度満足できた。瞑想とか座禅などは試したことがないが、多分そういうときの意識に近いのではないかと想像している。
 プラス面については、ひょっとしたら集中力が上がったかもしれない。一つの対象を意識する時に、以前よりも没入できるようになった気がする。でもこれは確認するのが非常に困難であり、本当にそうなのかについてはあまり自信がない。
 困ったことについてははっきりしている。フロートの後で日本の食器などを販売するお店に行った時のこと、とても出来のいい木製の製品を見つけた。「これはスプーンというよりもさじと表現するべきだ」と頭で思っていながら、「いい箸だ」と言ってしまった。
 これもフロートから数時間後に起きた話だが、ある友人と会って話しているときに、相手に教えてないはずの事柄をその人が話題にし始めた。なぜそれを知っているのかと尋ねると、「先週会ったときに話したよね」と言われ、確かにそうだったと思い出す。それから数分後にも同じことがあった。
 どうやら言語や記憶の点で異変が起きるようだ。電化製品のスイッチを一度オフにしてから再びオンにした後のスタンバイ・モードのようなものだろうが、自分の脳にそんなことが起きるとは夢にも思わなかった。笑い話として人に話しながらも内心では少し不安になった。取りあえず、フロートの日は何もしないのに限る。(多分私の方法は極端なのでしょう。ごく普通に試すのであれば、フロートはリラックスするのにとてもいいのではないでしょうか。

2014-11-29

第9回、フロートもしくはアイソレーション・タンクについて、その2

 前回はフロートとの出会いについて取り上げたので、今回からはそれ以降に経験したことを確認していく。ただ、フロートの効果においては個人差が大きいようで、さらに私の場合はやり過ぎだったかもしれないので、試してみるときにはあくまでも自己責任ということでご了承願いたい。 
 私にとってのフロートにおけるテーマは大きく分けて二つある。一つがリラックス効果であり、もう一つが感覚や意識の実験である。後者は、大げさに表現するならば、マッド・サイエンティストが自分自身を使って人体実験をしたようなものだ。 
 また、『自己コントロール』(成瀬悟策著、講談社現代新書)で知った「筋肉の弛緩」とフロートとの関係についても説明しておく。前者については二十年以上前に読んだ本なので実はもうよく覚えていない。筋肉を自分の意志でコントロールするためにまずはそこから力を抜くというような話だった。緊張状態が続くと特定の筋肉には力が入りっぱなしになるそうで、まずはその状態を自力で解消するということと理解している。他方、フロートの場合は五感に対する刺激を遮断するためにタンクに入る。ここからはあくまでも自己流の解釈だが、外界からの刺激に左右されないようにするためにタンクによって外界からの刺激そのものを減らし、そして「筋肉の弛緩」を試みることによってその効果を徹底するということを想定した。ところが、どうやら自分の予想以上の効果が出たらしく、そのために万人向きとは言えない方法となってしまった。
   
 二回目から五回目ぐらいまでのメインテーマは全身の筋肉の弛緩だったが、割合早い段階で満足感を得た。金縛りに近い感覚だが、特に首から下の肉体が痺れ、自分のものでないかのようになる。体の疲れを取るという観点からすると、最初に少し寝て、その後で全身から力を抜くという順序が最も効果的だった。フロートに行けば体調がよくなるという自信がついた。 
 それ以降は上記の実験の方が主となった。元々心理学の実験のために作られた装置だそうで、リラックスすることよりもこちらの方が本来の使い方に近いのだろう。ごく普通の状態で眠るだけでも意識はなくなると言えるが、それよりもさらに意識をなくすことを目標にした。パソコンに例えるならば、ソフトを起動させないだけでなく、バックグラウンドの処理も極力ゼロにするようなものだ。ただ、これをやり過ぎるとフロートの後で丸一日頭が働かなくなるので、十回目を過ぎたあたりからは適度な水準を心がけた。
   
 この実験については次回以降に回すとして、ここではフロートの効果の特にその肉体的な側面について指摘しておく。その店の常連になってしまったため色々とお願いを聞いてもらえるようになったのだが、フロートの後に別室にあるベッドで一時間ほど寝かせてもらえたのが大きかった。体の疲れはこれで大体取れた。そして店を出てからレストランに行くのだが、そこまでの距離を歩くわずかの間は視力が急によくなったと感じることが多かった。 
 どういう訳かフロートの後には自然と腹式呼吸になるのだが、ただ単に鼻で呼吸をするだけで脳の疲れが取れていく。フロートの後に通りを歩いていた途中に、一度だけ知人に出くわしたことがあるが、「何その気持ちよさそうな顔は」と言って大笑いされてしまった。
 それからしばらくして気づいた。まさに、「頭蓋骨をヘルメットのように外して脳を直接マッサージしてもらう」ような感覚なのである。実際に脳に対する刺激を一時的に減少させるので、頭がい骨を外すのではないが、脳の疲れの元になる体から脳が分離されるようなことになり、脳に解放感が生じるのだろう。また、ウィキペディアの記述によるとフロートには血管拡張作用があるらしいので、呼吸から得られる酸素やその他の栄養素が脳に大量に運搬されるらしい。言うなれば脳の外側からではなく内側からのマッサージか。こうして思いも寄らない形でまさに長年の夢が実現した。

2014-11-25

第8回、フロートもしくはアイソレーション・タンクについて、その1

 毎年九月から十一月が一番忙しくなるのだが、ようやくその山場を越えつつある。通訳業務が多い場合は特にそうなるのだが、まさに頭が疲れてくる。こうなると眠ったぐらいでは疲れが取れない。
 日本にいて現代国語や小論文の授業をしながら哲学書を読んでいた時には、たまたま近所に腕のいいマッサージ師を見つけることができた。あの方のお蔭で初めてマッサージの素晴らしさを実感できたのだが、それでもよく思ったものだ。「頭蓋骨をヘルメットのように外して脳を直接マッサージしてもらえたらどんなにいいだろう。」
 それよりも数年前の大学生のときには『自己コントロール』(成瀬悟策著、講談社現代新書)という本を読んだ。原則として自分の意志で動かせるはずの随意筋と呼ばれる筋肉があるそうで、それを本当に自分でコントロールできるようにするためのトレーニングが紹介されていた。その一番目として手首に近い部位の筋肉を弛緩させるという項目があった。部屋を暗くしてベッドに横たわるという環境で実施するため、これは何とかできた。ところが二番目は椅子に座っている状態でのトレーニングで、この動作をしているだけでどうしても体に力が入るため、そこで挫折した。それでも体の筋肉を緩めることの意義は何となくわかった。(補足しておくと、随意筋を自由にコントロールできるかどうかの基準として、無意識のうちに力が入ってしまう筋肉の部位から力を抜けるかどうかが問われていたと思います。また、以下に書いていくことはこの本からヒントを受けた結果に過ぎず、同書の正しい理解に基づく実践だったというわけでは全くありません。その詳しい内容については同書でお確かめください。)
 以上がフロートもしくはアイソレーション・タンクと呼ばれるものと出会うまでの背景説明である。これから書くことは多分他の体験者の感想とかなり異なるだろうから、断り書きのような意味で最初にまとめておくことにした。


 確か三年前ぐらいのことだが、ある人からベルリンにフロートというものをやっている店があると聞いた。真っ暗で匂いも音もないタンクの中で死海のような環境を整え、体を浮かせ(ここからフロートという名前になる)、ありとあらゆる感覚の対象から自分自身を遮断させるというような話だった。ウィキペディアにも「アイソレーション・タンク」という項目にその説明があった。これは面白そうだと思い、その店に行ってみることにした。
 簡単に説明を受けた後、洗面台とシャワーとトイレとタンクのある個室に入る。サマーディ・タンクというもので、体温と同じぐらいで高い濃度の硫酸マグネシウム溶液が入っている。体をよく洗い、タンクに入り、あおむけに横たわる。実際に体が浮いた。二十年以上前に読んだ『自己コントロール』のことを既に思い出していたので、最初から筋肉の弛緩を目指した。重力すらもほとんど感じないため、体の一部ではなくいきなり全身の筋肉から力を抜くことに意識を集中させた。
 今にして思えば、一回目はまだ要領が分からなかったためほとんど失敗だったのだが、それでも色々と奇妙なことが起きた。まずは時間感覚である。終了時間になると係の人が部屋に入ってきてタンクを叩いて知らせるのだが、一時間入っていたはずなのに三十分にも満たないように感じた。ただ寝ていただけなのに頭がフラフラした。動けなくなってそのままソファで三十分ほど横になった。
 そしてそこから近くにあるレストランに行こうとしたのだが、ここでありえないことが起きた。本当はフロートの店を出てそのままほぼ真直ぐ百メートルほど歩き、一度右に曲がれば到着するのである。ところが、どういう訳か、店を出てすぐに左に曲がり、ある程度歩いてから右に二回曲がるというような考えが浮かんでしまった。それを実行したのだがどうもおかしい。そして駅に着いてしまったのだが、そこで気づいた。店を出て左に曲がったつもりが、実は右に曲がっていたのだった。それから何とかレストランに辿り着いたのだが、きちんと座ることができずにへたり込んでしまう。コートを取ろうと席を立っても壁を支えにしないと体を持ち上げられない。多分タンクにいた時に脳の活動が比較的停止に近い状態になったのだろう。
 結局その日はほとんど何もできなかった。翌朝のことは覚えている。頭は相変わらずフラフラしていたが、体にも痺れるような感覚があった。疲れすぎた状態で風邪をひく場合には熟睡できずに困ることがよくあるのだが、体が痺れるようなこの眠り方ができると体調が復活する。日本でのマッサージの翌朝には首と肩と背骨がバラバラに外れたかのような感覚があったのだが、それに近いものもあった。そこで、これはどうやら本物らしいという実感を得た。
(私の友人・知人でこの同じフロートを試した人々には、ここまでの極端な結果は出ていません。「まずまず気持ちよかった」、「タンクにいた時には確かに時間感覚は変わった」ぐらいの感想が多かったです。以上は私が疲れ過ぎていてなおかつ自己流で色々試した結果と解釈するべきでしょう。)