世界時計

2015-03-28

第20回、見学の仕方の一例

 毎年日本の幾つかの中学校や高校が修学旅行としてベルリンを訪れる。現在のベルリンは観光産業が主力であり若者にも人気があるので、「楽しむ」という点で色々な選択肢がある。ところがここには第二次大戦に続いて冷戦を経たという歴史もある。「学ぶ」という観点において、これほど見どころの多い場所は珍しいのではないか。物価も低いし治安もいいし、ヨーロッパの他の地域への移動も便利なので、今後も修学旅行生が増えるだろうという見通しがある。 
 ベルリン市内はもちろん、そこから一時間程度のところにあり「ポツダム会談」で有名なポツダム市の見学というコースもあるが、中にはザクセンハウゼン強制収容所を訪れる学校もある。1936年から1945年にかけてナチス・ドイツが設置したが、現在はブランデンブルク記念財団が管理している。ベルリンの中心部から電車や車で一時間弱の距離である。約二十万人がここに送り込まれ、多くの人々が虐待されたり殺害されたりした。 
 こういう特別な場所の時にはやはり特別な気持ちになるもので、辛い目に遭われた方々にも納得してもらえるような説明にはしたい。しかし起きてしまった出来事は余りにも悲惨であり、そして中学生や高校生という未成年者に何をどの程度話すべきかについては慎重に検討する必要がある。こういったことをあれこれ考えると、この業務は結構難しいのである。
 そもそも私はこの収容所の専属ガイドではない。ある特定の場所についてのガイディングで悩む場合は、一般的なガイド業務の基本に立ち返ることを第一とする。すなわち、各担当者と連絡を取りながら予定されたスケジュールを時間通りに終え、お客様に事実を正確に伝え、そしてトラブル発生時には適切な対応を取るといったことなどを最優先にする。あまり考えすぎて「木を見て森を見ず」ということになってはいけない。 
 同収容所についての本やDVDが発売されており、毎年予習のために事前に見ておくのだが、どうも話すべき中身の方向性とかコンセプトといったものが出て来ない。結局固有名詞や数字などについての事実確認に終始してしまう。今年も例年通り、「たくさんの方がお亡くなりになっている場所なので、お墓参りをするような気持ちでご見学ください」という話し方しかないという腹積もりでいた。これはこれで悪くないと思うのだが、どうも何かが欠けているような気がしてならなかった。今にして思えば、あの方たちに納得してもらえるコンセプトを探していたのだろう。 
 そして当日を迎えた。大型バスでさあこれからザクセンハウゼンに向かうという直前に、その学校の先生から、このような特別な場所を訪問するにあたっての心構えのようなことも話して欲しいというご依頼があった。
 このときに一つ閃いた。そのDVDの中には、この強制収容所から解放されて現在に至るという方のインタビューも含まれていたが、「ここで起きたことを記憶にとどめて欲しい」というようなコメントがあったことを思い出したのである。ここに力点を置くことに決めた。 
 悲しい出来事のあった場所を見学して悲しい気持ちになるというのは人間としての基本だが、ただ単に「悲しい気持ちになりました」というのでは、あの方々の求めていることとも違うのではないか。「自分も悲しくなったけれども、あそこで何があったかはよく分からなかった」というのでは、わざわざその場所を見学した意味が薄れてしまう。収容された人々の悲しみという「感情」はもちろん大切だが、その原因となる「事実」を後世の人々が記憶することまでを、あの方々は望んでいるのではないか。二度と同じことが起きないようにするためにはそうすることが不可欠である。大体こんなようなことを考えた。 
 また、そもそも「強制収容所」という言葉を聞けば、「強制的に収容する場所なのだからきっとああいうことがあったのだろう」ぐらいのことは誰でも連想できる。しかしこれでは「中身のない空想」に留まる可能性が高い。だが実際に見学した人は「事実を踏まえた想像」にまで進めるのであり、これ自体が新しい「事実」となる。こういう事実を突き合わせて議論をしていけば、過去の出来事を通して現在や未来の問題をより正しく考えることにもつながる。
 もちろんこの内容をその場で全て最初から考えたというのではない。「感情」と「事実」や「空想を基にした議論」と「客観的な議論」などについては前々から考えていたが、それらがその瞬間にあの元収容者のインタビューとうまくつながったのである。何はともあれ、バスの中では「お墓参りをするような気持ち」ということに加えて、「ただ単に悲しい顔をするというのではなく、そこで起きた事実をしっかり確認してください」という言い方をした。 
 さて、予定通りに現地に到着した。収容者が実際に生活していた空間や独房、拷問のための設備などを見学していき、Station Zと呼ばれる場所に辿り着いた。死体焼却場の前にある壁には、ポーランドの作家であり当時この収容所に拘留されていたAndrzej Szczypiorski1928 - 2000)の引用があった。「そしてさらに一つのことが私にははっきりしている。国籍を問わず徹底した軽蔑と憎悪の下にその当時殺害された人々、つまり拷問の末に死に至らしめられた人々、飢えさせられた人々、ガス室に送られた人々、火あぶりにされた人々、絞首刑にされた人々の全てを忘れてしまうならば、ヨーロッパに未来はない。」(これはその場所にドイツ語と英語で記されていたものを、ある方のご意見を参考にしながら私の方で日本語に訳したものです。)そこにあったドイツ語の文章をその場で日本語に意訳しながら、やはりこの方もありのままの事実を記憶して欲しいと訴えているのではないかと解説した。その一方で心の中では、「この説明で悪くはないですよね」とこの方に聞いていた。 
 多分先生方や生徒の皆さんは、私が毎年あのように説明していると想像されたことだろう。ところがそうではなかったのだった。実は皆さんの様子を窺いながら効果を確認していた。現代国語の授業をしていた時には受講者の目が生きているかどうかを一つの基準にしていたが、今回はまずまずだった。そしてその次の週に担当した学校でも同様に実行してみた。もっとも改良すべき点も明らかになったので、そこは来年までには何とかしたい。私自身がさらに事実確認をすべき箇所が新たに見つかったのである。一つ一つの事実を確かめていくというのは大変なのだが、できる範囲でやるしかない。
 ここまでのことを振り返りながら、今もう一度Szczypiorskiの言葉を読み返したところ、亡くなった人々との心のつながりを後世の人々が切らないで欲しいという願いも読み取れた。次回この言葉を訳して解説する時には、「一緒に悲しむ」という「感情」の側面も改めて強調しようと思う。少なくとも他人事として見学するというあり方は好ましくない。 
 いずれにせよ、これから数年は今回考えたことを踏まえてさらに試行錯誤を続けることにする。毎年少しずつよりよい説明にしていきたい。


2015年3月31日の補足。現在のこの施設の正式名称は、公式サイトによると、英語表記ではMemorial and Museum Sachsenhausenとなっています。しかし日本語では公表されていません。ネット上では「ザクセンハウゼン強制収容所記念館」や「ザクセンハウゼン記念館」などと訳している方が多いようです。)