世界時計

2016-12-31

第34回、ポツダム会談から見る世界の変化

 ただ今ベルリンは大晦日の夜。八時間の時差のある日本は既に新年を迎えている。今日はベルリンとポツダムを回るツアーがあった。文字通り今年の仕事納めだった。このブログでもこの一年を振り返ってみる。
 
 今年は多分後世の世界史の教科書に特筆される年になるだろう。イギリス(UK)がEU脱退を表明した。「強いアメリカを取り戻す」とアピールしていたトランプ氏が大統領選挙において勝利した。
 これだけでも十分だが、日本の外交でも重大な事件があった。八月には尖閣諸島の問題で中華人民共和国との対立が表面化した。またソビエトの継承国であり経済危機にあえいでいるロシアのプーチン大統領と安倍総理との会談も実現した。
 米・英・ソの首脳が出席したポツダム会談が開催されたのはツェツィリエンホーフ宮殿であり、ここをガイドする機会のあることはこのブログの三回目に既に書いた。今日もそこでお客様にそのお話をした。そういう私にとっては、今年は「ポツダム体制」終了を予感させる年であった。
(「ポツダム体制」という言葉でグーグル検索してみましたが、ウィキペディアには「YP体制(ヤルタ・ポツダム体制)」とあり、全体としてもこちらの方が「ポツダム体制」よりも使用頻度が高いようです。)
 ツェツィリエンホーフ宮殿ではポツダム会談を紹介するDVDが販売されている。日本語の音声はないのでドイツ語と英語で見るのだが、その冒頭には「冷戦の始まり」という表現がある。「ベルリンの壁」は冷戦の象徴の一つであり、それが崩壊してブランデンブルク門が解放される辺りが冷戦の終わりの始まりと言えるだろう。そしてソビエト革命という東側陣営の敗北により、冷戦が実質的に終了したと考えてきた。ベルリンとポツダムをガイドするときも大体この流れで話してきたし、これはこれで正しいだろう。
 しかし今年のイギリスとアメリカの動きを見るにつけ、少し考えが変わった。勝利したはずの西側陣営が、「もう私たちは昔の私たちではありません」と悲鳴を上げているように感じられたからである。東西対決における西側勝利の時点ではなく、東西双方の没落こそがポツダム体制の本当の終わりであり、時代の区切りだと今は思う。
 ただし、没落とは言っても米・英・ロが消滅するとかそういうことではない。世界におけるこれらの国の位置づけが一度解消するだけであり、それによって国際秩序の中心軸が変わるという意味である。
 残るのは、国連もしくはUnited Nationsという枠組みと、中国がどうなるかである。前者については、この大晦日でこれまでの事務総長の任期が終わる。ポツダム会談の時点での中国とは蒋介石の率いる中華民国であり、現在の大統領は蔡英文氏だが、トランプ氏がこれまでのアメリカの慣例を破って同氏と電話で話したのは象徴的である。
 私としては、これで新しい時代が始まると受け止めている。特に日本は未だに周辺諸国との間に第二次大戦をきっかけとする領土についてのもめごとを抱えているが、否応なしに話が先に進むのではないかと期待している。
 技術の観点からすると、日本とドイツという第二次大戦における敗戦国がますますトップランナーになるのだろうと見ている。これは通訳業務で両国の専門家の仲介をしているからそう思うだけと言えばそうなのだが、どの分野の方々も「強いのは日・米・独」とおっしゃることが多い。まあ、そう考える人がドイツに視察に来るわけではあるが。
 以上は状況をポジティブに見る場合だが、私の友人・知人にはネガティブに見る人も多い。トランプ氏は本当に嫌われているのだなと実感する。別に同氏の発言を肯定するわけではないが、少なくとも第二次大戦以来ずっと続いていた「強いアメリカ」を取り戻すためには、このぐらいの劇薬が必要だというのがアメリカ国民の総意なのかと想像している。
 あとはテロの問題やさらにサイバー戦争なども活発化しているようだ。これから新しい国際秩序ができるだろうから、全体としてどう推移していくかを眺めていくつもりだ。
 
 あと数時間で今年も終わる。スタバにいるが、周囲の表情は実に明るい。様々な人種からなる人々が仲間同士で語らっている。このお陰で、とりあえず来年もベルリンは何とかなりそうかなという期待感を持てた。新しく始まる世界にも笑顔があるだろうと、楽観的に構えることにした。


2016-12-30

第33回、今年のクリスマス

 もう今年も残すところ二日。まるで夏休みの宿題をまとめてやるかのように、これから二本書いてみる。

 今年のベルリンのクリスマスは、基本的にはいい雰囲気だった。それが例の事件で一変した。(犠牲者の方に哀悼の意を表します。)

 何人かの方から私自身が大丈夫かどうかについてのメールをいただいたが、確かにあの近辺を通る機会は多い。十二月十九日はポツダム広場のソニーセンターにあるスタバにいたが、何も気づかなかった。その日の午後十時付けで大使館から注意喚起のメールが届いているが、多分これによって事態を把握したのだと思う。それからネットで検索して情報を集め、友人・知人からの安否確認のメールに応えていった。この段階では、単なる事故であって欲しいと願っていた。
 翌日の午後八時過ぎに近くを通ったが、現場にある教会の前で数十人が祈りを捧げていた。この頃の私の中では、「とうとう起きてしまったか」という無念さが主になっていた。
 二日後になると仕事の面でベルリンの繁華街をチェックする必要が出てきた。まずは午後二時ぐらいにフリードリヒ通りに到着。ギャラリー・ラファイエットの前はそこそこの人通りである。人数的には通常より一割以上少ないかもしれないが、統計を取るわけでもないので人数比較は結局は曖昧だ。はっきりしているのは人々の表情で、「祭りは終わった」という顔つきである。次にまた何か起きるのではないかという不安は感じられない。怒りも少なくとも表には出ない。とにかく皆「がっかり」している。これは私自身の感情の投影だけではないだろう。
 ブランデンブルク門の前はまばらだったが中央駅はいつも通りの人込みだった。たまたま人が多かったり少なかったりすることもあり、人数がいつもに比べて多いか少ないかの評価は難しい。
 そして午後三時ぐらいに西ベルリンの事件現場に到着。付近は鉄柵と警察車両により封鎖され、一般の車は通行禁止となっている。道路にタイヤの跡がある。現場近くの高級ホテルの柱のところに人々が献花をしている。その付近でテレビのレポーターがマイクを持ちながらカメラに向かって話している。皆「がっかり」している。
 そこから道路を東側に五十メートル程進むと、中央分離帯のところで三組ぐらいの撮影隊が中継している。クリスマスマーケットの入り口と教会をバックに撮影している。そこにある電光掲示板には本来ならば楽し気に「メリークリスマス」と出るはずなのだが、犠牲者およびすべての関係者に対する哀悼が捧げられている。このコントラストが痛々しい。

 クリスマスイブにはある教会に行った。讃美歌の合間にお話があった。今回の事件に言及した上で、「難民にしてもホームレスの人々にしても同じ人間であり、そして人間は一人一人がかけがえの無い存在である、この連帯感こそ大事にしよう」と呼びかけていた。これがベルリンの論調と言ってもいいだろう。この事件から憎しみや対立が生まれるのだけは絶対に避けたいという切実な願いである。
 ただし、これが難しいところに来ているのも事実だろう。
 罪の無い人間に怒りが向けられるのは間違いだというのは当然だが、罪を犯した人間と罪そのものに対する怒りは間違いとは言えないし、少なくともある程度は必要ですらある。でもそれが行き過ぎればその怒り自体が悪になりかねない。
 また、「罪を憎んで人を憎まず」とも言うが、罪の予防に力点を置けば置くほど人の行動に制限をかけざるを得なくなる。
 このようにまとめることが可能ならば、程度の問題になりそうだ。犯罪が行われてからやっと対応する段階から、悪いことをする可能性のある人間をあらかじめ全て入国禁止にするような厳しい段階までの間で揺れ動くことになるだろう。現時点ではドイツの連邦警察は危険人物を特定してチェックしているようだが、今回の件でこの匙加減がより厳しくなるのかもしれない。
 このような罪への対処の問題に加えて、テロ対策の問題もあるだろう。普通の犯罪とは異なり、自己宣伝自体がテロの目的になっているからである。ただ単に厳しくして事を荒立てるようならば、結局テロの計画者の目的が達成されてしまう。「テロに振り回されることはありません」というメッセージは多分重要で、その点からすれば過剰反応はまずいだろう。

 大体こんな感じだろうか。政治的にはかなり難しい駆け引きが続きそうだ。ドイツ初の女性首相アンゲラ・メルケル氏が来年に再選されるかどうかにも大きく影響している。とは言え、ベルリンで生活している人々の間ではとりあえず「がっかり」で止まっている。そもそもこの町はイスラム教徒のトルコ人が多いので、イスラム教に対する免疫がある。

 そうそう、観光的な観点から見るならばベルリンにあまり変化はなかった。クリスマスのデコレーションは事件現場以外は特に変わりなく、その場所の出店も今週は再オープンしていた。お陰で助かった。クリスマスの華やかさを観光のお客様にご覧いただけないというのはこちらとしても心苦しいが、その点では事件発生前と変わることがなかった。(ドイツの中でもベルリンは例外的で、クリスマスの後もマーケットが開いているのです。)
 
 明日は大晦日でベルリンでは毎年花火で盛り上がる。街行く人々の顔からも「がっかり」という色が大分消えてきた。イスラム教だけでなくその他の宗教や、また同性愛なども含めたありとあらゆる文化に寛容であろうとしているのが今のベルリンである。この自由さがこれからも守られることを祈っている。