ただ今ベルリンは大晦日の夜。八時間の時差のある日本は既に新年を迎えている。今日はベルリンとポツダムを回るツアーがあった。文字通り今年の仕事納めだった。このブログでもこの一年を振り返ってみる。
今年は多分後世の世界史の教科書に特筆される年になるだろう。イギリス(UK)がEU脱退を表明した。「強いアメリカを取り戻す」とアピールしていたトランプ氏が大統領選挙において勝利した。
これだけでも十分だが、日本の外交でも重大な事件があった。八月には尖閣諸島の問題で中華人民共和国との対立が表面化した。またソビエトの継承国であり経済危機にあえいでいるロシアのプーチン大統領と安倍総理との会談も実現した。
米・英・ソの首脳が出席したポツダム会談が開催されたのはツェツィリエンホーフ宮殿であり、ここをガイドする機会のあることはこのブログの三回目に既に書いた。今日もそこでお客様にそのお話をした。そういう私にとっては、今年は「ポツダム体制」終了を予感させる年であった。
(「ポツダム体制」という言葉でグーグル検索してみましたが、ウィキペディアには「YP体制(ヤルタ・ポツダム体制)」とあり、全体としてもこちらの方が「ポツダム体制」よりも使用頻度が高いようです。)
ツェツィリエンホーフ宮殿ではポツダム会談を紹介するDVDが販売されている。日本語の音声はないのでドイツ語と英語で見るのだが、その冒頭には「冷戦の始まり」という表現がある。「ベルリンの壁」は冷戦の象徴の一つであり、それが崩壊してブランデンブルク門が解放される辺りが冷戦の終わりの始まりと言えるだろう。そしてソビエト革命という東側陣営の敗北により、冷戦が実質的に終了したと考えてきた。ベルリンとポツダムをガイドするときも大体この流れで話してきたし、これはこれで正しいだろう。
しかし今年のイギリスとアメリカの動きを見るにつけ、少し考えが変わった。勝利したはずの西側陣営が、「もう私たちは昔の私たちではありません」と悲鳴を上げているように感じられたからである。東西対決における西側勝利の時点ではなく、東西双方の没落こそがポツダム体制の本当の終わりであり、時代の区切りだと今は思う。
ただし、没落とは言っても米・英・ロが消滅するとかそういうことではない。世界におけるこれらの国の位置づけが一度解消するだけであり、それによって国際秩序の中心軸が変わるという意味である。
残るのは、国連もしくはUnited Nationsという枠組みと、中国がどうなるかである。前者については、この大晦日でこれまでの事務総長の任期が終わる。ポツダム会談の時点での中国とは蒋介石の率いる中華民国であり、現在の大統領は蔡英文氏だが、トランプ氏がこれまでのアメリカの慣例を破って同氏と電話で話したのは象徴的である。
私としては、これで新しい時代が始まると受け止めている。特に日本は未だに周辺諸国との間に第二次大戦をきっかけとする領土についてのもめごとを抱えているが、否応なしに話が先に進むのではないかと期待している。
技術の観点からすると、日本とドイツという第二次大戦における敗戦国がますますトップランナーになるのだろうと見ている。これは通訳業務で両国の専門家の仲介をしているからそう思うだけと言えばそうなのだが、どの分野の方々も「強いのは日・米・独」とおっしゃることが多い。まあ、そう考える人がドイツに視察に来るわけではあるが。
以上は状況をポジティブに見る場合だが、私の友人・知人にはネガティブに見る人も多い。トランプ氏は本当に嫌われているのだなと実感する。別に同氏の発言を肯定するわけではないが、少なくとも第二次大戦以来ずっと続いていた「強いアメリカ」を取り戻すためには、このぐらいの劇薬が必要だというのがアメリカ国民の総意なのかと想像している。
あとはテロの問題やさらにサイバー戦争なども活発化しているようだ。これから新しい国際秩序ができるだろうから、全体としてどう推移していくかを眺めていくつもりだ。
あと数時間で今年も終わる。スタバにいるが、周囲の表情は実に明るい。様々な人種からなる人々が仲間同士で語らっている。このお陰で、とりあえず来年もベルリンは何とかなりそうかなという期待感を持てた。新しく始まる世界にも笑顔があるだろうと、楽観的に構えることにした。