世界時計

2020-07-24

第43回、ドイツの情勢、その1

 ヘーゲルの『論理学』にある、「本質に固有な反省的運動とは無から無への運動である」という命題の解釈がまとまらず、それ以外のことに中々手がつきません(ヘーゲルの言葉というのはどれもこれも大体こんな感じです)。そのため大分間隔が空いてしまいましたが、この辺で記事を出します。でも722日と23日はヨーロッパにとっては一つの転換点になったと思うので、これはこれでいいタイミングになりました。二回分のボリュームになっています。

「中国から離れつつあるドイツ」と「欧米諸国内でのドイツの立ち位置」を統合するものとして、「ドイツの情勢」というタイトルに変更しました。そもそも現状では「中国から離れきれないメルケル首相」とするべきかもしれません。

 

「第37回、中国から離れつつあるドイツ」で書いたように、ドイツと日本は安全保障の面ではアメリカの同盟国であり、経済的には中国との関係を非常に重視しています。

4月に動きがありました。日本は「生産拠点の国内回帰を後押し」する緊急経済対策を出し、また安倍総理自身が現状を第三次世界大戦と見なしているという報道がありました。他方ドイツについては、「第39回、中国から離れつつあるドイツ、その2」で取り上げたように、メルケル首相は「中国が新型ウイルスの発生源に関する情報をもっと開示していたなら、世界中のすべての人々がそこから学ぶ上でより良い結果になっていたと思う」という談話を発表しました。

問題はここからです。あれから7月の今に至る過程で、日本とドイツの差がはっきりしてきました。日本については、習近平主席の国賓としての受け入れをストップさせる方向が出たのに対し、アメリカへの悪感情というのは特にないでしょう。したがって安全保障上の方針と政治経済や国民感情的な部分とが一致してきています。

ドイツの場合は大分違います。メルケル首相というかドイツ政府は、NATOEUの枠組みを壊さないという前提の上で、アメリカの言いなりにはならないという方針を堅持しています。そして中国との関係についてはソフトランディングを目指しています。「第40回、中国から離れつつあるドイツ、その3」で触れたように、ドイツ人の中の反米感情が高まっているという報道もあります。

6月後半から今に至るまで、ドイツとアメリカの関係は蜜月とは言い難いものでした。ドイツ駐留米軍削減の件があり、そして6月末には電話会談において怒ったトランプ大統領がメルケル首相に対して「バカ」と言ったという事件もありました。とうとう言っちゃったし、とうとう言わせちゃったわけです。ドイツのntvというメディアによると(脚注1)、ベルリンのドイツ政府は詳しい内容を伏せているそうです。数百年前ならばこれで十分宣戦布告になるのでしょうが、それはないでしょう。両者ともNATOの枠組みを壊す気は毛頭ないことがかえって明らかになりました。それと同時に、メルケル首相が安全保障の観点からトランプ大統領に膝を屈するということも当分は無さそうです。

それでは中国に対してはどうかというと、これが正反対のようです。これまでの流れからさもありなんというところですが、次のeconomist716日付の記事は実に参考になりました。表題を訳すならば、「アンゲラ・メルケルのソフト中国スタンスは本国で試される」(脚注2)ぐらいになるでしょうか。例の香港国家安全法に関連して、メルケル首相の所属するキリスト教民主同盟(CDU)及びドイツ外務省が中国批判について細心の注意を払い、そのことが連立パートナーの社会民主党(SPD)の外交スポークスマンから「時代遅れ」と批判されているとあります。

このような情勢において、フランスに動きがありました。先日の水曜日つまり22日付の日本版のブルームバーグの「中国とフランス、航空機販売と5Gでの協力強化を表明」(脚注3)という記事によると、21日の両国のビデオ会議においてそのように決まったということです。20日付の日本語版ウォールストリートジャーナルの「中国、ノキアなど報復対象に EUがファーウェイ禁止なら」(脚注4)という記事にある中国からの報復措置を恐れたのかもしれません。

この段階で4月以前の状態に戻りました。ドイツとフランスは米中の間で中立のスタンスになったと理解しました。この時点では、とうとうフランスもメルケル氏につられてしまったかと、ため息をついていました。

 

ところが、ロイターの日本語版で同じく22日に、「仏、5Gからファーウェイ事実上排除 免許更新せず=関係筋」(脚注5)という記事が出ました。「関係筋は『フランスも英国に類似した対応を取る。政府の伝達の仕方が異なるだけだ』と述べた。」さらに同日のフランスのAFPの日本語版からは、「仏、ウイグル問題で監視団派遣を要求 中国側は『デマ』と一蹴」(脚注6)という報道が出ました。この記事は次のように締めくくられています。「欧米と中国間の緊張は、中国による香港への国家安全維持法導入や、 中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ、Huawei)製品を排除する欧米側の動きなど、複数の問題をめぐって急激に高まっている。」あたかもブルームバーグの記事内容に「待った」をかけるがごとく、矢継ぎ早に報道が続いたのです。これで再び4月以降の状態に戻りました。

時系列的に見て、このフランスの動きは米英の動きに連動しているというのが普通の推理でしょう。19日にはBBCの番組でウイグル問題に関連して在英中国大使がつるし上げのような目にあい(脚注7)、22日には産経新聞の「米『中国に世界で抵抗』 香港対応など英と協議」(脚注8)という報道があり、そして木曜日つまり23日にかけて、とうとう米中で大使館封鎖合戦が始まりました。フランスの態度の急変の背景には、イギリスのみならずやはりアメリカの動きがあったことは間違いないでしょう。

さて、ドイツはというと、これには苦笑しか出てこないです。22日の午後8時からのターゲスシャウというドイツでの代表的なニュース番組(脚注9)では、四番目か五番目ぐらいに、トランプ氏がマスク着用を義務付けるようになったことについて取り上げていました。大統領選挙での困難が予想されるので前言を撤回したのではないかなどと割合長めに伝えていました。それに続く在ヒューストンの中国大使館閉鎖命令についての報道は簡潔でした。この形だと、選挙の前評判の段階で劣勢に立つトランプ大統領が焦って色々変なことをやっているというような印象を視聴者は持つでしょう。

あとは、ドイツのマース外相の談話が出ました。ウェルト紙の22日の「マースが中国の香港国家安全法への対応を発表」(脚注10)という記事によると、ドイツにはこの問題に関して幾つかの提案があり、EU外相間での議論のためにフランスとともにこれらをすでに提出していたそうです。今週の前半にイギリスと中国の間で香港関連での批判の応酬があり、そしてマース外相によると、現在ドイツはイギリスと同様のステップを計画しているそうです。これは深読みかもしれませんが、後出しじゃんけんではないということを強調したいのかなと受け取りました。いずれにせよメルケル首相による談話ではありません。

 

こうしてみると、何しろドイツとフランスが揃ってイギリスの外交政策を踏襲すると表明しているのですから、EUを脱退したイギリスが事実上のEUのリーダーになっていることがわかります。どうしてこういう情けない話になるかと言えば、やはりメルケル首相がトランプ大統領とは徹底的に対決し、それと同時に習近平主席とはあまり批判をしないようにと気を配りながらの対話を継続しようとしているからであり、そしてこのメルケル氏にマクロン大統領が引きずられているからではないかと推測しています。

もし現状が平時であれば、中国とともに経済的発展を目指し、経済面でのライバルとしてのアメリカに対抗するというのは悪くないかもしれません。昨年業務の関係でたまたま参加したパーティで出会ったドイツ南部選出の国会議員は、ほろ酔い加減で私に、「ドイツは中国とともに頑張る、日本も一緒にやっていこう」というリップサービスをしてくれました。どうやらメルケル氏も未だにこの議員と同じ考え方をしているのかもしれません。

ドイツが脱退を表明しない限りはドイツはNATOEUの一員であり続けます。そうすれば安全保障は万全です。まして遠く離れたアジアの動向に関心を持つ必要はありません。このためメルケル氏の認識としては、コロナを度外視すればドイツは平時であり、そしてその延長線上にある世界全体も同様に平時として見えているのでしょう。コロナに気を取られてその他が見えなくなっているという面はあるのかもしれません。何はともあれ、メルケル氏が経済問題に没頭して反米親中のような方針を取っている理由はここにあると推察します。

事実がこの通りならば、アメリカと中国が安全保障レベルで対立し始めるとき、この政策が空中分解するのは理の当然なのです。これに対してフランスの方はより早く危険を察知したようです。どこかのメディアがメルケル氏に、「もし今アメリカと中国がミサイルを撃ち合うなら、ドイツはどちらに撃ちますか」と質問してみれば、少しは我に返るのかなと想像しています。「仮定の話には答えられない」という大失言はさすがにしないでしょう。もっとも、NATOの一員としての正しい答えを述べるなら、それこそ例の香港国家安全法によって在中国のドイツ人に危険が及ぶのかもしれませんが。

メルケル氏にとっては中国の工場の生産力と人民の購買力は未だに魅力があるのです。ところが、先に引用したeconomistの記事には、中国に拠点を持つドイツの中堅企業は撤退するべきだという意見が、昨年あたりからドイツ人の中にも多くなってきているという指摘があるのです。また、そもそも中国での現在のコロナの感染状況の実態はもはや誰にもわからぬような有様で、半年前ぐらいの予想通りイナゴは中国に到着し、そして三峡ダムが絶体絶命となり、世界的金融市場としての香港の価値ががっくり落ちています。これらとは別に、アメリカを筆頭に世界中からコロナ関連の賠償請求が出るでしょう。中国を好きか嫌いかを抜きにして、どう見ても中国に期待するのは無理があると思うのですが、メルケル首相にはそれでも明るい未来が見えているようです。直接的な批判を避けながら中国と対話をすれば、言葉は悪いですがいわゆるハッタリがさく裂しているのだろうという悪い予感しか出てきません。

ここで思い出されるのは難民問題です。あの時はキリスト教民主同盟の中からも、難民を受け入れるのはいいが無制限の受け入れはまずいというメルケル首相への批判が出ていました。それでもメルケル氏は独走してしまい、ヨーロッパレベルで滅茶苦茶になりました。今回もどうも似たような展開になりそうです。難民受け入れ問題と中国政策はメルケル首相のレガシーに関わる点で共通していると考えていくと、やはり嫌な予感がします。

この調子で事態が進展すると、ダメージが大きいのはやはりドイツ経済の根幹をなす中堅企業です。安倍政権の出したようなデカップリング政策を一つでもやればある程度のアナウンス効果がありそうですが、現状での在中国ドイツ企業は中国に居続けようという判断に落ち着き、また新たな中国進出計画が続くでしょう。(中国も最大の支持者のメルケル首相を苦境に落とすような戦狼外交など止めてしまえばいいと思うのですが、そうもいかないのでしょうか。)

臆面もなく方針を変えてマスクをするようになったトランプ大統領のように、メルケル首相が対中国政策の面で方針転換をできれば、ドイツ経済の傷は大きくならずに済むかもしれません。またドイツのEU内でのリーダーシップも維持されるでしょう。そうでないなら、どうなるかはまったく予想もできなくなりました。

 

脚注1

ttps://www.n-tv.de/politik/Trump-beleidigte-Merkel-angeblich-bei-Anruf-article21882131.html

脚注2

ttps://www.economist.com/europe/2020/07/16/angela-merkels-soft-china-stance-is-challenged-at-home

脚注3

ttps://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-07-22/QDUDPYT0G1KW01

脚注4

ttps://jp.wsj.com/articles/SB11537187355398293437904586518603902071990

脚注5

ttps://jp.reuters.com/article/france-huawei-5g-security-idJPKCN24N2LG?feedType=RSS&feedName=special20

脚注6

ttps://www.afpbb.com/articles/-/3295233?cx_part=latest

脚注7

ttps://www.bbc.com/japanese/video-53465253

脚注8

ttps://www.sankei.com/world/news/200722/wor2007220002-n1.html

脚注9:ドイツ語の音声が出ます。

ttps://www.tagesschau.de/multimedia/sendung/ts-38207.html

脚注10:ドイツ語の音声が出ます。

ttps://www.welt.de/politik/ausland/article212070463/Maas-kuendigt-Reaktion-auf-Chinas-Sicherheitsgesetz-fuer-Hongkong-an.html