日本ではある塾で大学受験の現代国語と小論文を教えていた。そのこともあり、引っ越し先としては「日本人が多く住んでいるところ」という基準があった。(結局ベルリンにはこの手の需要がほとんどないことが明らかになったものの、海外の日本人に対する日本語教育に関わる機会を得ました。)
また、大学のこともあった。私は日本の大学では経済学部を卒業していたが、今回は哲学科に在籍することが第一の目標だった。当時のドイツにはマスターではなくマギスターという制度があった。日本の修士課程に対応するが、マスターと違って主専攻一つと副専攻二つか、または主専攻を二つ取らなければならなかった。色々検討した結果、「哲学と日本学を二つの主専攻として受講する」という方針を立てた。段々思い出せなくなってきているが、この希望を実現できた大学というのは確かミュンヘン、フランクフルト、ベルリンなどにある幾つかの大学だけだった。
このように考えていくうちに、ベルリンにしようと思い立った。
自分なりに必死に考えた上でベルリンを選んだのであり、その点ではいいのだが、ベルリンに一度も行かずにそう決めたのは自分らしかった。せいぜい「東西ベルリンの分断」とかそういう言葉が頭にあっただけだった。そもそもベルリンの基本情報すらあまり調べていなかったのである。
フライブルク時代は語学習得を目的としてあるドイツ人家庭の元に下宿していたが、部屋のドアのところにドイツ全土の地図が張られていた。ベルリンにしようかなと思い始めていた頃だったが、この地図でベルリンを探したことがある。フライブルクの地点から旧東西ドイツの国境を見つけ、その線上を下から上へ、つまり南から北へと指を這わせ、Berlinという文字を見つけようとした。ところが、東西ドイツ国境上にBerlinは無かった。国境の近くを探しても無駄だった。ここまでを読んで「なぜなのだろう」と思われた方は、当時の私と同じレベルである。実際にはベルリンは旧東ドイツ地域の中心寄りに位置していた。だからその西半分の西ベルリンが「陸の孤島」と呼ばれたのであり、西ベルリンの北も西も南も皆東ドイツだったのである。(このことを知った後でその地図を見た時には、もちろんベルリンはあるべき場所にありました。)
観光のお客様の前でこれを実演すると、「そうだそうだ」とうなずかれる方もいらっしゃるが、急に表情が硬くなる方や正直に「えっ」という表情をされる方もいらっしゃる。「昔の自分と同じだ」と思う部分もあるが、私の場合は既に二年間もドイツに住んでいてそうだったのであり、かなりの重症だった。
何はともあれ、ベルリンに引っ越してから丁度十五年が経過しつつある。この辺で少しずつ「考えたこと」や「考えていること」をまとめていこうかという気になった。
何はともあれ、ベルリンに引っ越してから丁度十五年が経過しつつある。この辺で少しずつ「考えたこと」や「考えていること」をまとめていこうかという気になった。
川辺さん
返信削除ベルリンは毎年のように新しい建築物が誕生しとても生き
生きとした大都会と言えますが、今年の9月にはLeibzig広場
でフートが10億ユーロも投資してデパートを開店しています
ね。まだ私も行く機会がありませんが、楽しみの一つになり
ました。
しかもすぐ隣にはポツダムアルカーデンが1999年から存在
し、そしてソニーセンターも映画館やリンデンブロィをはじ
めとしてレストランがありとても魅力的です。
つまり、第二次世界大戦以前のポツダム広場という地域が
蘇生したと断定することが出来るかと思います。
これまでは東西ベルリンがちょうど分断されていた悲劇的
な地域が戦前のようにその賑やかさとアトラクションを取り
戻したと言えます。
ところで私も川辺さんのようにフランクフルト、ハンブル
ク、そしてベルリンと大都会をいくつか住んで着ましたが、
勉学や研究活動や住むためにはこうした大都会が日本人には
適しているかと思います。
観光地はドイツのプロバンスと言えるロマンチック街道と
かハルツ山脈、あるいは、隣国のプラハとかポーランドの小
邑などがありますし、遠くはないので、その点便利かと思い
ます。
長くこのブログが継続されることを祈りって、まずは開設
をお祝いしたいと思います。
ドイツドキュメント視聴者
コメントをありがとうございます。
返信削除私がベルリンに引っ越して来た1999年の時には、まだポツダム広場が工事現場で、フリードリヒ通り駅の南側の公園がちょうどこれから工事現場になるところでした。両者の開発が進み、そしてアレクサンダー広場が大きく変化しました。今年はクーダムにビキニがオープンし、そしてライプチヒ広場の復活が目前に迫っているところだと思います。あとは、これから五年か十年ぐらいの間に博物館島とお城の辺りが一つのポイントになりそうですよね。空港はまったく分かりませんが。
とりあえずは歴史の証人として見ていこうと思っています。生活者としては単純に楽しめます。旅行業の観点からは、ベルリンの新しい魅力の紹介の仕方を模索中です。