世界時計

2014-09-24

第2回、この十五年間について

 色々考えたが、今回は、「ベルリンで考えていること」を書いて行く上での背景説明に徹することにした。
 東京時代のことから始める。私には昔から哲学と経済学の両方をやりたいという希望があった。そして大学では経済学を専攻し、哲学は大学の外でやっていた。
 卒業後に信託銀行を選んだのには色々な理由があるが、銀行だと数多くの業種に関わることができ、また当時の信託銀行は金融機関の中で最も業務の幅が広かったということが挙げられる。
 現代国語と小論文の塾講師をしていたときには、哲学書の読み方や哲学的な考え方を大学受験に応用していた。
 さて、ベルリン自由大学に入学し、哲学と日本学を専攻した。特に後者では日本経済を主たるテーマとしていたが、まさに理想的な組み合わせだった。ベルリンでの最初の数年間の課題はこの形でマギスター(昔の修士号)を最短コースで取ることだったが、この点については目標を達成した。
 そしてマギスター取得後ぐらいから旅行業を始めた。通訳とガイドという二つの業務は結局混ざることが多いので、ここでは企業や官公庁などによる「視察」か、もしくは純粋な「観光」かと分類してみる。視察の仕事は様々な業種と関わり、日本側とドイツ側の両方と接触することにもなる。商談もあれば工場視察もある。シビアな状況に陥ることも多いが、やりがいもある。観光はというと、人を楽しませるという実に変わった仕事である。毎年数百人の方々と一日か二日だけご一緒するが、折角ベルリンまで来ていただいたので、できる限りいい思い出を持ち帰っていただこうとしている。
 この辺で、なぜ「色々な業種」にこだわるのかについて触れておく。日本の大学時代の私は、人生を二回以上送れたらどんなにいいだろうと思っていた。もちろんこれは無理である。そこで、「一つの職業に就くことにより複数の職業に就く効果が出るようにする」というのと、「ある職業に就いてある程度先が見えたら、その時点でその後を考える」ということをやるようになった。(特にこの二つ目については、手堅い人生を選ぶ人からするとまさに訳の分からない考え方でしょう。高校生や浪人生に授業をする時にはできる限りこの話はしないように注意していました。)
 とにかくこの二つの方針を立てたのだが、そうすると銀行や旅行業さらに翻訳業というのは、多くの職種に関わるという点で都合がいいのである。相手先の業務内容を把握しているかが重要になり、またそれを資料などの形で教えていただくことも多々ある。そうして「もし自分がこの仕事をしていたらこういう人生になるだろう」というような想像を繰り返す。普通の人は小説や映画などを利用するのであろうが、私の場合はここまでしないと気が済まないのである。もっとも最近は、とにかく今の人生を充実させることに集中しようという具合に心境が変わった。
 ドイツに来てからは新たな観点が生まれた。フライブルク時代からいわゆる芸術家と知り合う機会が増えたのだが、ベルリンでは特に「前衛的な」芸術家と出会う機会ができた。(この表現は本当はおかしいのですが、とりあえず「伝統第一主義ではない」というぐらいの意味です。)残念ながらどうもうまく説明できないのだが、とりあえずその中のある人の名言をここに引用させていただく。「ベルリンの人たちって、ペンギン村みたいだね。」私自身はこの漫画を読んでいないのだが、その時は、「ああ、きっとそうなんだろうな」と思った。とてものどかなコミュニティということもあるが、社会的常識よりも自分の中の基準を大事にしている人々という言い方もできるかもしれない。自分は常識からずれているので常識にこだわろうという考え方を私自身はしてきたが、そんなに無理する必要もないという気持ちになれた。もっとも私自身はペンギンという感じでもないのだが。
 一応哲学科の博士課程のことについても触れておく。ヘーゲルの『大論理学』を取り上げているが、もうかなりの長期間になってしまった。自分としては満足できる発見を数回したし実りはあったが、どうも形にならない。この話になると多くの人が「絶対に取るべきだ」と言ってくださるし一応頑張るつもりではいるが、そのことにあまり振り回されないようにもしている。
  これまでの十五年間についてはこれで十分だろう。次回は「現在」考えていることを書く。 

0 件のコメント:

コメントを投稿