世界時計

2015-06-24

第24回、パリ出張についての覚え書き、その1

 昨年後半に始めたこのブログだが、今回は初めて一ヶ月以上の期間を空けてしまった。この間には色々な出来事があったが、今回と次回はその中でも先週の出張の話を守秘義務に違反しない限りで書いておく。
  
 パリの航空ショーの仕事が入った。私はフランス語はできないので主として英語の通訳として業務を受けた。これは珍しいことで、幾つかの偶然が重なった結果である。お客様は日本のある企業であり、ドイツでは何度もご一緒させていただいたが、パリは二回目である。
 六月十五日の月曜日。夜八時過ぎのエールフランスでベルリンからパリに向かった。約二時間弱のフライトである。このように書くと男性の読者の中には、キャビンアテンダントはどうだったのかと気になる方が少なからずいらっしゃることだろう。美人のフランス人というのはどんな感じだろうと想像をたくましくされる方もいらっしゃるだろう。さてその実際であるが、機内では二人の男性キャビンアテンダントがせっせと働いていた。 
 シャルルドゴール空港に到着。売店でパリの地図を購入しようとするが、店員が英語をまったく話せない。地図の作り方もドイツの地図とは異なる。立ち読みをしながら勘をつかもうとしていたら閉店の時刻となり、とりあえず二冊買っておいた。
 パリ自体は通算四回目だが、過去の記憶が中々出てこない。良くも悪くも初めて来たような感覚で切符を買い、パリ市内への電車に乗る。パリに詳しい「軍師」に前もって色々質問していたのだが、私が宿泊するGare de Est(東駅)付近は黒人さんが多いとのことだった。ホテルでチェックインしてから周辺を歩くと、確かにその通りだった。ベルリンに比べて道幅が狭く、夜の十時過ぎでも人が多い。 
 飲み物と酒のつまみの置いてあるコンビニもどきのお店が見つかり、水を買う。頭の中に浮かぶドイツ語を英語に直しながら話しかけると、相手もフランス語を英語に直しながらたどたどしく答えてくる。実はベルリンに住んでいると話すと急に相手のノリがよくなる。「こんにちは」と「さようなら」と「ありがとう」を教えてホテルに戻る。
 六月十六日。マックで朝食を取る。ベルリンにはないチーズのメニューがあったのだが、せめて写真を撮るなりその名前を書き留めておくべきだった。日本人の二人組みが後から入ってきて日本語で話している。どうやら私を日本人とは認識していないようだ。二人の会話を盗み聞くような形になるのも悪いので、隣にいた黒人の女性に話しかけ、それとなく日本の話をする。しばらくしたらその方たちは席を立った。 
 お客様とホテルのロビーでミートする。一人の方は三年振り、後のお二方は今回初めてお会いした。この間の出来事をお話しているうちに時間がすぐに立つ。東駅まで歩き、そこから電車に乗ることになった。一人の方がまさにナチュラルGPSそのもので、前日に歩いただけという道を地図無しでほとんど迷わず進んでいく。これには驚いた。
 電車に乗り、そして会場であるル・ブルジェ空港へのシャトルバスに乗り換える。この日はそれほど暑くなく、バスの中もまずまず快適だった。渋滞はあったものの何とか到着。航空ショーとしては世界でもトップクラスの知名度というだけあり、非常に賑わっている。ボーイングやエアバスなどはもちろん、様々な企業が参加している。但し今回はお客様から離れて会場内を見学する機会が無かったので、どこにどういう会社があったかはほとんど記憶にない。 
 私はお客様のアポイントメントに応じて移動する。昼食時にはある外国企業のシャレーに行った。これは要するに展示・商談のためのスペースなのだが、飲み物やさらに食事が出ることもある。相手先の女性担当者は押したり引いたりがうまく、「毎日百ドルずつ貯金してうちと契約して」と頑張っていた。
 ちなみに、四年前の同じパリ航空ショーの際には記憶に残る出来事があった。某国企業の女性担当者は美人でミニスカートで見た目は女優のようだった。立場的には半分同僚となるドイツ人女性がその場に同席することになっていたが、「ボンドガールだね」と言い合っていた。ところが商談が始まると、半額近く値切ろうとし、徹底的に攻め込んで来た。あの衣装には多分相手を油断させるという意図が込められていたのだろう。航空宇宙関係のビジネスならば数百万や数千万、さらには数億だのという数字が飛び交うので、様々なタイプが出てくるのも当たり前と言えばそれまでだが、まさに忘れられない経験となった。 
 ガイドや通訳の業務には役得というものがあり、普段は決して行けない場所に行ったり見られないものを見たりすることがある。この日も素晴らしいものを拝見する機会を得た。守秘義務があるのでその内容をここに書くわけにはいかないが、まさにいい経験をさせていただいた。
 レストランでの夕食時にもお客様に同席した。この時期のベルリンだと白アスパラガスのシーズン終了ギリギリのところだが、パリでは見なかった。肉はとなるとドイツは豚が中心だがパリは牛肉のステーキが多い印象だ。魚介類のメニューはベルリンよりもパリだなと思いながら美味しくいただいた。 
 この日にお会いした、こちらのお客様の相手先となるある方は、ある技術について「色々な人の思いが積み重なっているんですよ」とおっしゃっていた。私も一人の日本人として、日本の航空宇宙産業の更なる発展を祈りながら、普段はそんなに飲まないワインを数杯空けた。
(次回に続く。)