世界時計

2015-11-12

第26回、書くことの意味について

 七月から更新を止めてしまったが、今年の九月の時点で二年目に入った。 
 五月までの生活はまずまず順調だった。ところがそこから様々なアクシデントに見舞われた。パソコンの盗難やクラッシュのダメージは大きかった。二回目のスマホの盗難もあった。怪我もあった。十年分ぐらいのトラブルが一度に押し寄せた。  
 他方、業務の点では過去最高の忙しさとなった。このこと自体はありがたいのだが、プライベートの時間が本当に無くなってしまった。 
 いつの間にか、「八十点を取り続ける」という今年の目標が意識から消えてしまった。これは昨年の忙しさを前提にしていたのであって、だから仕方のない面もあるが、とにかく生活が乱れた。
 毎年の傾向として、十一月の中頃からは落ち着く。やり残したことを少しずつ片付けていくしかない。
  
 ブログについては、用意していた原稿がパソコンとともになくなってしまったことが大きかった。だが起こってしまったことを嘆いていても仕方ない。お蔭で新しいことを考えられるようになったと受け止めることにしている。そしてこの辺でまた軌道に乗せようと思う。そこで、これまでの一年間を振り返ってみた。 
 依然として、他人に振り回されず自分のしたいようにするという方針のままである。
 書き方の点では、高校生や大学受験生に教えていた作文や小論文の書き方とは違うものとなった。これには内心苦笑していた。あれは制限時間内に字数制限の枠内で答案を作成する方法だから、そういう条件のない時にはこだわる必要はない。だからと言って、生徒に対してあれだけ口酸っぱく言い聞かせていたことを自分が守らないというのは少し気が引けた。いずれにせよ、この点でも自分の思い通りの方法にこだわった。  
 内容の点では、機会があればまとめてみようと温めていた題材を中心に選んだ。パソコンの盗難のために、良くも悪くも、これまでの「在庫」が無くなってしまった。結果的にちょうど一区切りついてしまった。
 それでは、本当に書きたいと思っていることを実際に書いてこれたかというと、そうでもない。そもそも自分が何を書きたいのかがわかっていない。取り敢えず今のところは、それを知るために書いているような感もある。もっと言えば、自分探しの旅のようでもある。
 自分の内側に存在するものに形を与えて外に出すような話だが、何度も試行錯誤してやっと両者は一致する。この時点でその文章は完成である。ところが、それが本当に書きたかったことかというと、そこには微妙なズレがある。月日が経過すればするほど、他人の文章のようにすら思えてくる。今度は別のテーマで同じ作業に取り組む。そしてまた同じように本当に書きたかったこととのズレを感じる。だから、何を書いても自分の文章ではあるが、真の自分とは一致していない。つまり、自分自身の内と外との分裂ではなく、自分自身と本当の自分との分裂の話になっている。「これこそがまさに自分だ」と思って追いかけても、そこに辿り着くとその先に新しい自分が生まれてしまう。したがって、文章を書きながら本当の自分を探すようなことになっている。
 私もいい年なので自己紹介はできるし、ある程度は本当の自分についても知っている。ただ、文章をまとめたり、本当の自分について論理的に考えてみたりすると、それらとは異なる新しい本当の自分が生まれるのである。もう四十歳を超えているのだからこの辺で打ち止めにして、その時点での真の自分を基準にし続けようと考えたこともある。でも新たな真の自分は容赦なく生まれてしまう。正直なところ、こういう運動自体がヘーゲル哲学そのものとも言えるので、半ば面白がってやっている面はある。
 通訳やガイド、翻訳の場合はまったく話が変わる。この時には依頼主の内側にあるものを実現させるのであり、こちらはその先のことを考える必要はない。これはこれで重要な作業であり、まずはこの方法で内と外との一致のさせ方を学ぶというのがオーソドックスなあり方だろう。もっとも、お客様の評価とは別に自分の基準を持ち始めると結局似たようなことになる。とは言え、あくまでも自分の満足度二の次にしなければならない。
 このブログでは、読者の方には申し訳ない部分もあるが、他人の満足を二の次にしてでも本当の自分が生まれ続けるのを眺めていくことにする。「ヘーゲルだったらこう考えるだろうな」という推測はつくのだが、敢えてそれは脇に置き、自分がどう変化していくかを見守っていく。ヘーゲルも他人の一人であり、ヘーゲルの基準も二の次にする。

2015-07-01

第25回、パリ出張についての覚え書き、その2

 前回と同様に今回もパリの出張についての話である。守秘義務に抵触しない限りで書いていく。
  
 六月十七日。ドイツでは展示会の開催期間にはその町のホテル代が二倍に値上がりすることもある。今回のパリも似たようなものだったと思われる。この日に別のホテルに移るので、それまで宿泊していた高い料金の安宿をチェックアウトし、荷物を持ってお客様のホテルに向かう。
 この日の午前中はお客様のブースで受付をした。もうこの業務にはすっかり慣れているので、その前を通りかかる人々に話しかけては名刺を獲得していく。ところが一度ハプニングがあった。英語とフランス語しか聞こえないはずなのにいきなりドイツ語で「Herr Kawanabe、どうしてここにいるんですか」と話しかけられた(Herrは英語のMr.と同じ)。頭の中が真っ白になった。 
 そこには二人の男性がいて、そのうちの一人には確かに見覚えがある。話をしてみると、メッセベルリンで昨年開催されたInnoTransという鉄道関係の展示会で会った人だった。そのときの私のお客様の相手方である。そのドイツ人は鉄道だけでなく航空産業にも関わっていたのだった。今回のお客様の関係者にこのコンサルタントをつなぎ、ベルリンでの再会を約束してお別れした。その後に再びフランス人と英語で話そうとしたが、頭の中のドイツ語を押さえ込むのに難儀した。
 午後にはまた別の日程が入っていたが、前日に続いてまたも役得があった。本来ならば立ち入り禁止の場所で見学できた。 
 会場の中では、来場者の移動のためのミニ鉄道の形をした自動車が走っていた。これが壁やら自転車やらとよくぶつかっていて、双方が苦笑いをしていた。ドイツではまずこういうことはない。パリの人は荒っぽいという印象を持った。
 会場を後にして一度解散する。この日に宿泊するホテルに向かう。普通のホテルならば広いロビーがあるはずだが、そこのホテルの場合は、台所にあるようなテーブルが一つ置いてあるだけのスペースだった。如何にも「近所に住んでます」というような四、五人のフランス人が酒を飲みながら談笑していた。今回は間際になって自分でブッキングしたので、お客様の宿泊するホテルに近く、安眠できそうで、ネットに接続できるという基準だけにしていた。 
 前日同様に夜もあるレストランに向かった。私は主として注文の際のヘルプの役回りで同席しているのだが、この日は特にメニューが余ることもなく、まずまず上出来だった。
 そしてホテルに戻る。最上階である六階(ヨーロッパ的には五階)の屋根裏部屋で、エレベーターがない。窓を開けていると下からの光で空が明るく感じられる。深夜一時を過ぎても街の喧騒が伝わってくる。パリを舞台とするプッチーニの『ラ・ボエーム』というオペラをドイツに来てから四、五回観たことがある。このときの部屋の雰囲気や家具調度品、さらには階段などの安っぽさと古っぽさが、そのオペラの中の情景に実によくマッチしていると面白がった。 もしここにクリスマス期間中に来たらもっとそうなるだろうと想像した。
 六月十八日。今回のパリでは初めてとなるケーキを食べた。モンブランが見つからなかったのが心残りである。日本では当たり前のあのケーキは、ドイツでは滅多に見かけない。仕方なく違うケーキを食べたのだが、ベルリンにあるフランス系のケーキとそれほど変わらなかった。次回はもっとパリのケーキについて調査しようと決意した。
 ベルリン行きの飛行機に乗るときには幾つかのドラマがあった。列に並んでいると、前日に展示会で会ったあのドイツ人コンサルタントに再び出くわした。そして席も近いところになっていた。こちらがつないだ相手とミーティングをして、いい話ができたとのことだった。搭乗するまでにはかなり待たされ、やっとの思いで飛行機に乗り込んだ。そのときになって初めて、航空券を購入したGermanwingsではなくAir Berlinの機体であることに気づいた。こういうこともあるのかと驚いた。
 大体こんな感じだった。実はパリに行く直前に事件があり、この出張をキャンセルするかどうかの瀬戸際に追い込まれたのだった。無事に終了してまさにほっとしている。 
 そう言えば、十回以上やり取りしてる航空宇宙産業の専門家の知り合いがいるのだが、このドイツ人にも今回のパリ滞在期間中に会った。ここ数年はこの業界での環境問題に取り組んでいる。ここ数年のうちにこれが大きなテーマになるらしい。日本とドイツが何らかの形でこの分野で手を組めるようになるといいなという話をしている。この人は日本に対して思い入れを持っているのである。ベルリンに住む一人の日本人として、日本とドイツの航空宇宙産業分野での発展を願っている。

2015-06-24

第24回、パリ出張についての覚え書き、その1

 昨年後半に始めたこのブログだが、今回は初めて一ヶ月以上の期間を空けてしまった。この間には色々な出来事があったが、今回と次回はその中でも先週の出張の話を守秘義務に違反しない限りで書いておく。
  
 パリの航空ショーの仕事が入った。私はフランス語はできないので主として英語の通訳として業務を受けた。これは珍しいことで、幾つかの偶然が重なった結果である。お客様は日本のある企業であり、ドイツでは何度もご一緒させていただいたが、パリは二回目である。
 六月十五日の月曜日。夜八時過ぎのエールフランスでベルリンからパリに向かった。約二時間弱のフライトである。このように書くと男性の読者の中には、キャビンアテンダントはどうだったのかと気になる方が少なからずいらっしゃることだろう。美人のフランス人というのはどんな感じだろうと想像をたくましくされる方もいらっしゃるだろう。さてその実際であるが、機内では二人の男性キャビンアテンダントがせっせと働いていた。 
 シャルルドゴール空港に到着。売店でパリの地図を購入しようとするが、店員が英語をまったく話せない。地図の作り方もドイツの地図とは異なる。立ち読みをしながら勘をつかもうとしていたら閉店の時刻となり、とりあえず二冊買っておいた。
 パリ自体は通算四回目だが、過去の記憶が中々出てこない。良くも悪くも初めて来たような感覚で切符を買い、パリ市内への電車に乗る。パリに詳しい「軍師」に前もって色々質問していたのだが、私が宿泊するGare de Est(東駅)付近は黒人さんが多いとのことだった。ホテルでチェックインしてから周辺を歩くと、確かにその通りだった。ベルリンに比べて道幅が狭く、夜の十時過ぎでも人が多い。 
 飲み物と酒のつまみの置いてあるコンビニもどきのお店が見つかり、水を買う。頭の中に浮かぶドイツ語を英語に直しながら話しかけると、相手もフランス語を英語に直しながらたどたどしく答えてくる。実はベルリンに住んでいると話すと急に相手のノリがよくなる。「こんにちは」と「さようなら」と「ありがとう」を教えてホテルに戻る。
 六月十六日。マックで朝食を取る。ベルリンにはないチーズのメニューがあったのだが、せめて写真を撮るなりその名前を書き留めておくべきだった。日本人の二人組みが後から入ってきて日本語で話している。どうやら私を日本人とは認識していないようだ。二人の会話を盗み聞くような形になるのも悪いので、隣にいた黒人の女性に話しかけ、それとなく日本の話をする。しばらくしたらその方たちは席を立った。 
 お客様とホテルのロビーでミートする。一人の方は三年振り、後のお二方は今回初めてお会いした。この間の出来事をお話しているうちに時間がすぐに立つ。東駅まで歩き、そこから電車に乗ることになった。一人の方がまさにナチュラルGPSそのもので、前日に歩いただけという道を地図無しでほとんど迷わず進んでいく。これには驚いた。
 電車に乗り、そして会場であるル・ブルジェ空港へのシャトルバスに乗り換える。この日はそれほど暑くなく、バスの中もまずまず快適だった。渋滞はあったものの何とか到着。航空ショーとしては世界でもトップクラスの知名度というだけあり、非常に賑わっている。ボーイングやエアバスなどはもちろん、様々な企業が参加している。但し今回はお客様から離れて会場内を見学する機会が無かったので、どこにどういう会社があったかはほとんど記憶にない。 
 私はお客様のアポイントメントに応じて移動する。昼食時にはある外国企業のシャレーに行った。これは要するに展示・商談のためのスペースなのだが、飲み物やさらに食事が出ることもある。相手先の女性担当者は押したり引いたりがうまく、「毎日百ドルずつ貯金してうちと契約して」と頑張っていた。
 ちなみに、四年前の同じパリ航空ショーの際には記憶に残る出来事があった。某国企業の女性担当者は美人でミニスカートで見た目は女優のようだった。立場的には半分同僚となるドイツ人女性がその場に同席することになっていたが、「ボンドガールだね」と言い合っていた。ところが商談が始まると、半額近く値切ろうとし、徹底的に攻め込んで来た。あの衣装には多分相手を油断させるという意図が込められていたのだろう。航空宇宙関係のビジネスならば数百万や数千万、さらには数億だのという数字が飛び交うので、様々なタイプが出てくるのも当たり前と言えばそれまでだが、まさに忘れられない経験となった。 
 ガイドや通訳の業務には役得というものがあり、普段は決して行けない場所に行ったり見られないものを見たりすることがある。この日も素晴らしいものを拝見する機会を得た。守秘義務があるのでその内容をここに書くわけにはいかないが、まさにいい経験をさせていただいた。
 レストランでの夕食時にもお客様に同席した。この時期のベルリンだと白アスパラガスのシーズン終了ギリギリのところだが、パリでは見なかった。肉はとなるとドイツは豚が中心だがパリは牛肉のステーキが多い印象だ。魚介類のメニューはベルリンよりもパリだなと思いながら美味しくいただいた。 
 この日にお会いした、こちらのお客様の相手先となるある方は、ある技術について「色々な人の思いが積み重なっているんですよ」とおっしゃっていた。私も一人の日本人として、日本の航空宇宙産業の更なる発展を祈りながら、普段はそんなに飲まないワインを数杯空けた。
(次回に続く。)

2015-05-17

第23回、新しい「明日」を迎える方法(『Groundhog Day』についての2)

 以下は第22回の続きである。まずそれをお読みいただいてから以下に進むようにお願いしたい。但し、部分的に映画の「ネタバレ」になるのでご注意いただきたい。 
  
 前回は『Groundhog Day』(邦題は『恋はデジャ・ブ』)の中から「物事を否定的に見る態度」と「同じような毎日を繰り返すこと」いう二つを取り出し、前者について考えた。主人公が最終的には他者と自分を受け入れ、他者の幸せを自分の幸せとする人生を選択し、全てを受け入れられるようになったことを確認した。さて、今回は後者について考える。
 この映画においては「2月2日の世界」が何度も繰り返される。これは映画の設定として面白いというだけでなく、妙なリアリティを持っている。現実の話としても、毎日同じことの繰り返しでうんざりするというのは、愚痴の内容としては定番になっている。
 主人公の男性の場合は、最初は戸惑っていたもののある時点で開き直り、道徳的にまたは法律的に許されないことをし始める。「2月3日」が来ないということは、明日が来ないことだと言えなくもない。「明日」を否定することにより、毎回の「今日」において無責任な生き方をする。 
 他方では、毎回の「2月2日」をその次の「2月2日」のための捨て石にし始める。今回の「2月2日」で実験をしておいて次回の「2月2日」でそれを生かす。やり直しのできるゲームで、うまく行くまで何度もリセットするようなものである。これでは毎回の「今日」における人生が真実味の欠けたものになってしまう。 
 前回確認したように、同僚の女性に振られるまでの男性には物事を否定的に見る傾向が強かったが、生き方の面でもこのように毎回訪れる「今日」を否定する。人生の内容と形式がピッタリ符合している。
 結局男性は何度も自殺を試み、自殺を諦め、そして女性の価値観を受け入れていく。こうしてありとあらゆる対象を肯定するようになる。さらに、「明日」の有無に関わらずとにかく「今日」を肯定する生き方をし始める。 
 「明日」が来ないということから刹那的な生き方になっていたのだが、「明日」が来ないので毎回の「今日」を大切にするという生き方に変化する。大して仲の良くなかった男性の同僚にも声をかけ、気の合わない昔の知り合いとも話をするようになる。人間がいつかは死ぬ存在であることを深く自覚した後では、この傾向に拍車がかかる。 
 「明日」が来るので「今日」を捨てるという生き方は、より良い「明日」のためにより良い「今日」にするというものになる。ピアノや氷の彫刻を習い始めるのだが、名人級の実力をつけるのは一朝一夕には無理であるものの、毎日の上達を楽しんでいるシーンが描かれている。
 最終的には、「明日何が起ころうとも、また残りの人生に何があろうとも、今自分は幸せだ」とつぶやく。そして「2月2日の世界」から解放される。(実際にはそのセリフの後に「because I love you.」と続きます。) 
 それではまとめに入る。「明日は来ない」と思って「今日」を真剣に生き、また「より良い明日へとつなげる」ために「今日をより良いものにする」ということを続けていくと、ある時点で最高点に達する。これまでの同じような「今日」のシリーズが完成したら、それらとは本質的に異なるある一日が、「新しい明日」としてやって来る。そのような人生に転換するきっかけとしては恋愛感情も強調されているが、前回(第22回)においてまとめたように、「もう死ぬことすらも許されないという諦め」(否定の否定)、そしてそこから出て来る「自分の人生をありのままに受け入れる覚悟」(一段高い次元での肯定)の方が、この映画ではより重要な役割を担っていると思う。(しかしこの映画においては、主人公の周りには善人しかいないという前提があります。悪意を持つ人間がいる場合にどのように自分の人生を肯定するかという観点はありません。) 
 ここで一つ補足しておく。今回は時間軸を主として取り上げたが、この男性が小さな町に閉じ込められていることも見過ごせないファクターである。もし大都会にいるときに「2月2日」が反復したら、主人公が人生を変えるまでに必要な「2月2日」の回数がもっともっと必要になるだろう。現実の世界にこのことを応用させると、自分の周囲の環境がきちんとしているかどうかが良い生き方の第一の基準と言えそうだ。 
 この映画には少なくともあと一つ大事な観点があるのだが、とりあえず今回はこれで終わりにする。このブログを書くためにDVDで何度も見直し考え続けたが、初めて気づくことが多かった。前回と今回は予定よりも大幅に時間がかかったが、やって良かったという充実感はある。なおこの映画自体はいわゆるラブコメとかいうジャンルに入るようなので、ご覧になった方は実際の映画とここまでの文章とのギャップにきっと驚かれることだろう。前回の冒頭でも触れたように、映画の批評ではなく映画をきっかけにして考えたことを書いているので、その点はご了承いただきたい。
(5月18日の追記。一部の字句と内容について加筆修正を行いました。)

2015-05-03

第22回、物事を肯定的に見る方法(『Groundhog Day』についての1) 

 まだ東京に住んでいた頃にある人から幾つかの映画を薦められた。レンタルビデオ店で借りて順番に見ていったが、本当に気に入ったものもあった。そのうちの一つが『Groundhog Day』である。ベルリンに来てからはDVDを購入して視聴した。 
 この映画はビル・マーレイ主演の1993年の作品である。グラウンドホッグ(groundhog)とはモグラに似た動物である。毎年2月2日にアメリカのペンシルベニア州のパンクスタウニーという小さな町で、この動物が主役となるグラウンドホッグデーという行事が開催されるそうだが、この映画ではほとんどその「一日」だけが描かれている。邦題は『恋はデジャ・ブ』であり、その名の通り確かに恋愛がテーマの映画とも言える。ドイツ語版の題名を日本語に直訳すると、『そして毎日グラウンドホッグが挨拶する』となる。上映時間101分で笑える箇所も多く、気軽に見られる映画である。まだ見ていない方には是非お薦めしたい。以下ではこの映画の批評ではなく、これを手掛かりにして考えたことを書いていく。 
 次の段落からは映画の内容を一部含み「ネタバレ」になるので、くれぐれもご注意いただきたい。また日本語の字幕付きのDVDが手元にないので、引用の際には英語から適宜日本語に訳す。 
 
 自分の置かれた状況に不満を持ち、そして「毎日同じことの繰り返しだ」と嘆く人が別の世界に迷い込むという話は、SFものにはありがちなパターンである。この作品においては、主人公がある年の「2月2日の世界」から出られなくなる。この人物はその行事をテレビ番組でレポートするために、男性の同僚と女性の同僚との三人でこの町を訪れる。そして一人であるペンションに宿泊し、2月2日の朝6時にごく普通に起床する。一日を終えて眠り、目が覚める。すると、再び2月2日の朝6時の「世界」に戻っている。どうやら「2月3日の5時59分」の次に「2月2日の6時」が来るらしい。何度も経験する「2月2日」の記憶は維持され、そしてピアノの練習効果なども持続するが、肉体疲労や怪我などは次の「2月2日の6時」に回復する。ほとんど不老不死のようなものである。 
 今回は「物事を否定的に見る態度」について、次回は「同じような毎日を繰り返すこと」について取り上げる。 
 最初にこの男性の性格を確認しておく。「世間なんて馬鹿ばっかりだ。」(People are morons! )と言ってのけるし、同僚の女性からは「自己中心的というのがあなたの性格の最も特徴的なところよね」と批評される。自分には才能があり名声をつかむはずだと主張するものの、その女性からは「あなたは仕事の話はしないわよね」と指摘される。 
 次にこの女性の性格だが、乾杯する時には世界の平和を祈り、広大な海(ocean)よりも家族で乗るためのボートを選ぶタイプである。男性と正反対の性格ということであろう。 
 さて、何度も繰り返される「2月2日の世界」の中で、この男性は社会的規範を気に留めなくなる。何をしようがまた失敗しようが、どの道また「2月2日の6時」がやって来て、全て元通りになるからである。自分の周囲に対する否定的傾向がほぼ完成する。
 そして同僚の女性を口説こうとする。女性から「あなたは自分以外の人間を愛さない」と批判され、「いや、自分自身も愛してないよ」と受け返す。何度も失敗し、絶望する。挙句の果てには自殺を試みるが、何度繰り返しても全て無効となる。 
 主人公は他者を否定するとは言え、この女性にだけはそれができない。そして先の言葉に暗示されているように、逆に自分を否定する方向に進んだのだが、これでその女性以外の全てを否定することになった。ところが自分を何度滅ぼしても「2月2日の6時」に戻ってしまうので、自殺を諦める、つまり、自殺も否定することになった。またこの自殺には、自分と女性との人間関係を終わらそうとする意味もあった。したがって、この段階で自分を含めた全てに対する否定がほぼ完成する。 
 残るのは、そのようにありとあらゆるものの価値を否定すること自体を否定すること、すなわち、それらをこれまでとは別の方法で受け入れることだけである。ここで主人公の価値観が大きく転換することになるが、こういう時には周りに善人がいるかまたは悪人がいるかで精神的変化の方向がある程度決まる。この男性の周囲にいたのは小さな町の悪意のない人々と同僚の二人であり、そのうちの女性の方は善良さのかたまりのような人物である。この女性に対する恋愛感情も手伝って、この男性は女性の価値観の方向に接近し始める。
 さらにその後ではホームレスの老人の死にも立ち会う。この人はそれまでの主人公の判断基準からすると、恐らく最も無価値な人間であったはずである。そういう人物の老衰死に心の底から感情移入できたことから、主人公は人間一般を受けられるようになる。この出来事の後からは、これまで嫌っていた人も含めて、ありとあらゆる人を大事にするようになる。 
 こうした一連の出来事をきっかけとして、主人公は他人のために生きるようになる。人を助けることや、人が欲しいと思っているものを与えることのみを考える。 
 そもそも反復される「2月2日の世界」の中では、他人にはほとんど何も期待できない。どんなに相手に働きかけても次の「2月2日の6時」において全てがリセットされてしまう。こうして他者への愛は見返りを一切求めない愛の形を取った。
 もしその場所が大都会であったらまた話は変わったかもしれないが、実際は小さな町であり、さらに期間はわずか一日しかない。これでは社会的に活躍するというのは無理である。その代り一人一人に目を向けやすい。この「世界」に迷い込む前の段階では遠くを眺めて近くを疎かにするようなところがあったが、ひたすら自分の周囲を見守る人間へと変身した。最後はとうとうこの町で生きていくことを決意する。 
 自分の接する全ての人間を慈しみ、そして相手からはもはや何も欲しがらない。以前のように自分のその場限りの欲求の充足が第一で他者は二の次というのではなく、他者の喜びが自分の喜びとなる。自分に本当に必要なのかどうかも分からない広大な海を支配するよりも、自分と他人の乗るボートを守ること、つまり、他人を守り他人と自分との関係を守ることに専念する。男性の価値観は、その対極にあった同僚の女性の価値観に沿うものとなった。 
 主人公は自分と他者を区別した上で自分が他者の上に立っているかどうかを意識していたが、この場合は他者か自分を必ず否定することになる。「他者の喜びが自分の喜び」というあり方においては、互いに喜びを分かち合うので自他の区別が解消され、両方を受け入れることになる。
 最後に、この男性に人生のテーマとでも言うべきものがあった場合を考えてみる。繰り返される「2月2日の世界」の中でひたすらそれを追求することになりそうだが、自分のテーマと他者の幸せのどちらを取るかという問題が生じるのではないかと想像する。もちろんそのテーマが社会に貢献するものであれば矛盾しないかもしれない。 
 今回は結局人生の内容の話になったが、次回は人生の形式について考える。 

(5月10日の追記。題名及び一部の内容を変えました。)
(5月17日の追記。この男性の変化の根本的な原因は、自殺すらも諦めたところにあると考えるようになりました。それに応じて内容を一部変更しました。)  
(5月18日の追記。また一部を修正しました。)