世界時計

2016-12-31

第34回、ポツダム会談から見る世界の変化

 ただ今ベルリンは大晦日の夜。八時間の時差のある日本は既に新年を迎えている。今日はベルリンとポツダムを回るツアーがあった。文字通り今年の仕事納めだった。このブログでもこの一年を振り返ってみる。
 
 今年は多分後世の世界史の教科書に特筆される年になるだろう。イギリス(UK)がEU脱退を表明した。「強いアメリカを取り戻す」とアピールしていたトランプ氏が大統領選挙において勝利した。
 これだけでも十分だが、日本の外交でも重大な事件があった。八月には尖閣諸島の問題で中華人民共和国との対立が表面化した。またソビエトの継承国であり経済危機にあえいでいるロシアのプーチン大統領と安倍総理との会談も実現した。
 米・英・ソの首脳が出席したポツダム会談が開催されたのはツェツィリエンホーフ宮殿であり、ここをガイドする機会のあることはこのブログの三回目に既に書いた。今日もそこでお客様にそのお話をした。そういう私にとっては、今年は「ポツダム体制」終了を予感させる年であった。
(「ポツダム体制」という言葉でグーグル検索してみましたが、ウィキペディアには「YP体制(ヤルタ・ポツダム体制)」とあり、全体としてもこちらの方が「ポツダム体制」よりも使用頻度が高いようです。)
 ツェツィリエンホーフ宮殿ではポツダム会談を紹介するDVDが販売されている。日本語の音声はないのでドイツ語と英語で見るのだが、その冒頭には「冷戦の始まり」という表現がある。「ベルリンの壁」は冷戦の象徴の一つであり、それが崩壊してブランデンブルク門が解放される辺りが冷戦の終わりの始まりと言えるだろう。そしてソビエト革命という東側陣営の敗北により、冷戦が実質的に終了したと考えてきた。ベルリンとポツダムをガイドするときも大体この流れで話してきたし、これはこれで正しいだろう。
 しかし今年のイギリスとアメリカの動きを見るにつけ、少し考えが変わった。勝利したはずの西側陣営が、「もう私たちは昔の私たちではありません」と悲鳴を上げているように感じられたからである。東西対決における西側勝利の時点ではなく、東西双方の没落こそがポツダム体制の本当の終わりであり、時代の区切りだと今は思う。
 ただし、没落とは言っても米・英・ロが消滅するとかそういうことではない。世界におけるこれらの国の位置づけが一度解消するだけであり、それによって国際秩序の中心軸が変わるという意味である。
 残るのは、国連もしくはUnited Nationsという枠組みと、中国がどうなるかである。前者については、この大晦日でこれまでの事務総長の任期が終わる。ポツダム会談の時点での中国とは蒋介石の率いる中華民国であり、現在の大統領は蔡英文氏だが、トランプ氏がこれまでのアメリカの慣例を破って同氏と電話で話したのは象徴的である。
 私としては、これで新しい時代が始まると受け止めている。特に日本は未だに周辺諸国との間に第二次大戦をきっかけとする領土についてのもめごとを抱えているが、否応なしに話が先に進むのではないかと期待している。
 技術の観点からすると、日本とドイツという第二次大戦における敗戦国がますますトップランナーになるのだろうと見ている。これは通訳業務で両国の専門家の仲介をしているからそう思うだけと言えばそうなのだが、どの分野の方々も「強いのは日・米・独」とおっしゃることが多い。まあ、そう考える人がドイツに視察に来るわけではあるが。
 以上は状況をポジティブに見る場合だが、私の友人・知人にはネガティブに見る人も多い。トランプ氏は本当に嫌われているのだなと実感する。別に同氏の発言を肯定するわけではないが、少なくとも第二次大戦以来ずっと続いていた「強いアメリカ」を取り戻すためには、このぐらいの劇薬が必要だというのがアメリカ国民の総意なのかと想像している。
 あとはテロの問題やさらにサイバー戦争なども活発化しているようだ。これから新しい国際秩序ができるだろうから、全体としてどう推移していくかを眺めていくつもりだ。
 
 あと数時間で今年も終わる。スタバにいるが、周囲の表情は実に明るい。様々な人種からなる人々が仲間同士で語らっている。このお陰で、とりあえず来年もベルリンは何とかなりそうかなという期待感を持てた。新しく始まる世界にも笑顔があるだろうと、楽観的に構えることにした。


2016-12-30

第33回、今年のクリスマス

 もう今年も残すところ二日。まるで夏休みの宿題をまとめてやるかのように、これから二本書いてみる。

 今年のベルリンのクリスマスは、基本的にはいい雰囲気だった。それが例の事件で一変した。(犠牲者の方に哀悼の意を表します。)

 何人かの方から私自身が大丈夫かどうかについてのメールをいただいたが、確かにあの近辺を通る機会は多い。十二月十九日はポツダム広場のソニーセンターにあるスタバにいたが、何も気づかなかった。その日の午後十時付けで大使館から注意喚起のメールが届いているが、多分これによって事態を把握したのだと思う。それからネットで検索して情報を集め、友人・知人からの安否確認のメールに応えていった。この段階では、単なる事故であって欲しいと願っていた。
 翌日の午後八時過ぎに近くを通ったが、現場にある教会の前で数十人が祈りを捧げていた。この頃の私の中では、「とうとう起きてしまったか」という無念さが主になっていた。
 二日後になると仕事の面でベルリンの繁華街をチェックする必要が出てきた。まずは午後二時ぐらいにフリードリヒ通りに到着。ギャラリー・ラファイエットの前はそこそこの人通りである。人数的には通常より一割以上少ないかもしれないが、統計を取るわけでもないので人数比較は結局は曖昧だ。はっきりしているのは人々の表情で、「祭りは終わった」という顔つきである。次にまた何か起きるのではないかという不安は感じられない。怒りも少なくとも表には出ない。とにかく皆「がっかり」している。これは私自身の感情の投影だけではないだろう。
 ブランデンブルク門の前はまばらだったが中央駅はいつも通りの人込みだった。たまたま人が多かったり少なかったりすることもあり、人数がいつもに比べて多いか少ないかの評価は難しい。
 そして午後三時ぐらいに西ベルリンの事件現場に到着。付近は鉄柵と警察車両により封鎖され、一般の車は通行禁止となっている。道路にタイヤの跡がある。現場近くの高級ホテルの柱のところに人々が献花をしている。その付近でテレビのレポーターがマイクを持ちながらカメラに向かって話している。皆「がっかり」している。
 そこから道路を東側に五十メートル程進むと、中央分離帯のところで三組ぐらいの撮影隊が中継している。クリスマスマーケットの入り口と教会をバックに撮影している。そこにある電光掲示板には本来ならば楽し気に「メリークリスマス」と出るはずなのだが、犠牲者およびすべての関係者に対する哀悼が捧げられている。このコントラストが痛々しい。

 クリスマスイブにはある教会に行った。讃美歌の合間にお話があった。今回の事件に言及した上で、「難民にしてもホームレスの人々にしても同じ人間であり、そして人間は一人一人がかけがえの無い存在である、この連帯感こそ大事にしよう」と呼びかけていた。これがベルリンの論調と言ってもいいだろう。この事件から憎しみや対立が生まれるのだけは絶対に避けたいという切実な願いである。
 ただし、これが難しいところに来ているのも事実だろう。
 罪の無い人間に怒りが向けられるのは間違いだというのは当然だが、罪を犯した人間と罪そのものに対する怒りは間違いとは言えないし、少なくともある程度は必要ですらある。でもそれが行き過ぎればその怒り自体が悪になりかねない。
 また、「罪を憎んで人を憎まず」とも言うが、罪の予防に力点を置けば置くほど人の行動に制限をかけざるを得なくなる。
 このようにまとめることが可能ならば、程度の問題になりそうだ。犯罪が行われてからやっと対応する段階から、悪いことをする可能性のある人間をあらかじめ全て入国禁止にするような厳しい段階までの間で揺れ動くことになるだろう。現時点ではドイツの連邦警察は危険人物を特定してチェックしているようだが、今回の件でこの匙加減がより厳しくなるのかもしれない。
 このような罪への対処の問題に加えて、テロ対策の問題もあるだろう。普通の犯罪とは異なり、自己宣伝自体がテロの目的になっているからである。ただ単に厳しくして事を荒立てるようならば、結局テロの計画者の目的が達成されてしまう。「テロに振り回されることはありません」というメッセージは多分重要で、その点からすれば過剰反応はまずいだろう。

 大体こんな感じだろうか。政治的にはかなり難しい駆け引きが続きそうだ。ドイツ初の女性首相アンゲラ・メルケル氏が来年に再選されるかどうかにも大きく影響している。とは言え、ベルリンで生活している人々の間ではとりあえず「がっかり」で止まっている。そもそもこの町はイスラム教徒のトルコ人が多いので、イスラム教に対する免疫がある。

 そうそう、観光的な観点から見るならばベルリンにあまり変化はなかった。クリスマスのデコレーションは事件現場以外は特に変わりなく、その場所の出店も今週は再オープンしていた。お陰で助かった。クリスマスの華やかさを観光のお客様にご覧いただけないというのはこちらとしても心苦しいが、その点では事件発生前と変わることがなかった。(ドイツの中でもベルリンは例外的で、クリスマスの後もマーケットが開いているのです。)
 
 明日は大晦日でベルリンでは毎年花火で盛り上がる。街行く人々の顔からも「がっかり」という色が大分消えてきた。イスラム教だけでなくその他の宗教や、また同性愛なども含めたありとあらゆる文化に寛容であろうとしているのが今のベルリンである。この自由さがこれからも守られることを祈っている。


2016-09-02

第32回、ドイツにおける日本文化としての日本食について


 多くの日本人の方々には、海外の日本食レストランがどういうものかというのはイメージしにくいことでしょう。日本食がヨーロッパの人々に受け入れられるはずはないと決めつけている方もいらっしゃるかもしれません。もしドイツの肉料理と日本食を比較するなら、質的にも量的にも大きく異なることは明らかです。

 私は1997年から1999年までは黒の森で有名な南ドイツのフライブルクに住んでいました。この町はドイツ人にもまた日本人にも人気がありますが、都会ではありません。当時は日本食のお店は皆無でした。中国レストランで麻婆豆腐やワンタンスープを食べるときに、日本での食事を思い出していたものです。 
 確か普通のドイツレストランや中国レストランなどで、週に一日だけ一つか二つぐらいの日本食メニューを出すなどということがありました。そう言えばあの頃に寿司の写真集を見たことがあります。美しい食器と一緒に寿司が写っているのですが、実際にきれいな色合いでした。見て楽しむものとしての寿司という発想はそれまで無かったので、実に新鮮でした。 
 あれはベルリンに引っ越す直前ぐらいの頃でした。あるカフェで水曜日だけSushiを出すという話を聞き、行ってみました。日本人の作る「寿司」とそうでない人の作る「Sushi」とは違うだろうという気持ちが先に立ち、「これから寿司を食べるぞ」という期待感よりも、「これから未知の体験をするぞ」という緊張感の方が上回っていました。ところが、それなりに食べられたのです。これは予想外でした。 
 段々リラックスしてきて、「今自分は昔懐かしい寿司を食べているんだ」という気持ちになった頃合いに、鉄火巻を口に入れました。いや、鉄火巻だと思ったのです。「ガリッ」という鉄火巻には似つかわしくない歯ごたえがした後、数秒間頭が真っ白になりました。シャリとマグロと海苔を同時に噛むことによって歯が欠けたりするものだろうかなどという奇妙な自問自答をしながら、舌で恐る恐る感触を確かめると、シャリに混ざって少し硬いものがありました。そこで気づきました。今口の中にあるのは、マグロではなくニンジンスティックだということを。 
 多分コックさんは写真を見て作ったのでしょう。私自身その巻物を口にいれるまでは、シャリの中にある赤いニンジンをマグロだと信じていました。日本的感覚からすればニンジンを細く切ってシャリの中に入れて醤油で食べる寿司というのはありえませんが、ドイツ人にとってはマグロをあんな形に切るということがありえなかったのでしょう。ポジティブに考えるならば、マグロの握りとニンジンスティック巻の両方を楽しめたとも言えます。そしてコックさんは本気でそう思ったのでしょう。
 私がベルリンに引っ越した後に、フライブルクにも立派な日本食レストランができました。私も十年ぐらい前に立ち寄ってみましたが、料亭のような店構えだった記憶があります。あの時にはある方からご招待を受けてお寿司を食べましたが、とても美味しかったです。ちなみに、ニンジンスティックのお店は無くなっていました。あのカフェ自体は割合人気があったはずですが、何か事情があったのかもしれません。

 1999年の9月ぐらいにベルリンに引っ越しました。その時点ですでに様々な日本食のお店が数十件もあり、やはりベルリンは違うなと感心したものです。同じものを日本で食べたら半分ぐらいの値段かなと思うことも多々ありましたが、しっかりしたお店がたくさんあるだけで私にとっては感動ものでした。 
 この10年ぐらいのベルリンにおけるアジア系レストランの傾向としては、中国レストランがタイ・ベトナムレストラン(タイ料理とベトナム料理の両方を扱うという意味)に取って代わられるケースが目につきます。中国レストランが存続する場合でも昼にバイキングを導入するパターンが増えました。また、アジアレストランという名目でタイ料理、ベトナム料理、中国料理に加えてUdonTeriyakiなどの日本料理を提供するお店も出てきました。中国レストランの減少についてはピークを過ぎただけという見方が正しいのかもしれませんが、とにかくこういう傾向の中にあって日本食レストランについてはまだまだ勢いがあるようです。 
 これは聞いた話ですが、ベルリンにはSushiを注文できる店が1000件以上あるらしいです。人口約350万人のこの町に日本人の板前さんがそんなにいる訳ではなく、多くのアジア系のレストランが取り敢えずメニューにカリフォルニアロールや鮭の巻物などのSushiを加えているという話です。私の印象では、今から15年ぐらい前辺りに急にSushiという文字を町中で見る機会が増えました。それでもニンジンスティックに匹敵する強烈なSushiの話をベルリンで聞いたことはないので、寿司の研究もそれなりに進んでいるのでしょう。 
 次の話はドイツ人についてという訳ではありませんが、欧米系の人々が初めて日本食レストランに入ってお寿司を注文する時の様子がよく表れているので書いてみます。
 3週間ぐらい前の平日の夕方にある日本食レストランに行きました。私は仕事帰りだったのでスーツにネクタイという格好でしたが、フリードリヒ通り沿いという繁華街の真っただ中であるにもかかわらず、ネクタイをしていたのは広い店内に私だけでした。ベルリンであってもネクタイをするドイツ人は少ないのです。店内はほぼ満員で、8人が一緒に座れる場所の片隅に1人で座っていると、如何にも夏休み期間旅行中といった高校生らしき一団が近づいて来ました。男子2人、女子5人という構成でした。英語で相席してもいいかと尋ねられ、オーケーしました。自分達同士で話すときの言葉はスペイン語のようでした。 
 何となくこちらを観察している様子です。向こうからすれば「律儀にネクタイなんか締めているこの日本人は何をどう注文しているのだろう」という気持ちで一杯だったのでしょう。もしくは、サファリパークの中で動物と一緒にテーブルに座っているような感じだったのかもしれません。 
 そしてその中の一人がとうとう英語で質問してきました。私が食べているものは何かと聞かれ、豚丼と鮭汁だと答えました。そう、よりによってその時には豚丼にしていたのです。本当は寿司がメインの店ですが、とにかく空腹でご飯を腹に詰め込まないと気が済まなかったのです。もうちょっとお寿司屋さんらしいものを注文しておけばよかったと後悔しました。美味しいかと聞かれ、豚肉と玉ねぎが入っていて美味しいと答えました。日本食に対する常識が一切無さそうな相手なので、そう答える以外にありませんでした。
 次に他の一人がメニューを持ちながら、どのように注文するべきかと聞いてきました。このお店は全般的に日本での値段と比べても割合リーズナブルな価格設定です。相手は未成年だと意識していたので、鮭丼などの丼物がお勧めだがお寿司だとちょっと値が張ると答えました。Anagoとは何かという問いに対してeel(ウナギ)に近いと答えるなどの質疑応答が続き、それから7人によるスペイン語らしき言葉での会議が始まりました。そしてドイツ語を話す店員に合わせて片言のドイツ語で注文していました。まあこういうところはヨーロッパならではでしょう。
 驚いたことにさっき私に質問してきた人がわざわざ大きな器に入ったその豚丼を注文していました。私に対するリスペクトなのでしょうが、日本人と一緒に日本食の店で同じ日本食を食べたという思い出づくりもあるかもしれません。そしてメンバー全体ではお寿司と幾つかの単品を注文していました。この人たちの母国でも多分寿司は知られていて、ベルリンという国際都市に来たついでにJapanの寿司も食べてみようというのが入店のそもそもの動機だったのかもしれません。(但し断っておきますが、ベルリンは東京と比べるならばまさしく田舎です。緑地と河川が多く、町の真ん中に野ウサギが出たり、外れの方にはイノシシやシカも出ます。) 
 チラチラ見た感じでは、一応皆さん満足しているようでした。もしここであのニンジンスティックが混ざっていたら「なるほどこれがTekkamakiか、中々美しい」などと納得していたのでしょうが、もちろんそういうことはこの店ではありません。

 日本国内で日本食を出しているレストランは、中国レストランでもイタリアレストランでもないという意味においては「日本食レストラン」と呼べなくもないのかもしれませんが、上記のような雰囲気の場所は日本には滅多にないでしょう。ドイツではこういう場所で好奇心旺盛な人々や知日派が日本文化に親しんでいます。
 日本食はドイツにおいて順調に受け入れられていると実感しています。特に最近のベルリンには健康志向の人やベジタリアンが増えてきていますが、日本食レストランの場合だとそういう人でも注文できるメニューがあるそうです。実際にヴィーガン専門の日本食の店も登場しています。Sushiに関して私が個人的に感心しているのは、そもそも生魚を食べない人であってもSushiだけは試してみようと頑張る人が多いことです。日本食レストランの寿司に限らずそれ以外の店で出てくるSushiであっても、そういう不思議な魅力があるのです。 
 日本食一般の話に戻すと、昔は蕎麦やうどんを食べるときのあのズーズーという音を気にしていました。しかし最近ではこれも日本文化の一つと割り切ることにしています。その反対にもし私が他のドイツ人の真似をして、レンゲの上に麺とおつゆを載せて一気に食べるなどということをしたら、その方が間違いでしょう。私の友人の中にはそれどころか、日本食レストランでドイツ人男性に麺類を食べさせ、いい音が出るまで練習させたというツワモノもいます。もっとも私自身にはそこまでの勇気はありませんが。

2016-04-17

第31回、個人旅行で飛行機にてベルリンに来る場合について、その2

 ドイツ名物の白アスパラガスが出回り始めました。これはわずか数か月だけの季節限定品です。ドイツ観光にはいいシーズンがやってきました。 
 さて、今回もテーゲル空港の話ですが、免税手続きについて取り上げます。本来ならばもらえないはずのスタンプを獲得するためのちょっとしたテクニックのお話です。あとは、日本人とドイツ人の違いについても触れます。
 
 ドイツの消費税は一般的には19パーセントです。日本人旅行者がショッピングをする際には自動的にこれを支払うことになります。しかしそのお店が書類を発行してくれるならば、この払い戻しを受けるチャンスがあります。それに必要事項を記入し、そして空港にある税関でスタンプをもらうことがその条件です。 
 この時にはEU圏内に特有のルールがあり、旅行中の最後のEU地域の空港でスタンプをもらうことになっています。したがって、ベルリンから例えばフランクフルトやパリまたはロンドンなどを経由して日本に帰国する場合、本来はそれらの空港でスタンプを押してもらいます。 
 しかし、この乗り継ぎの時間が非常に短い場合があり、そうするとスタンプをもらい損ねる可能性があります。また、空港には早めについておいて時間をつぶすのが普通ですから、テーゲル空港で手続きを済ましてしまう方が時間の有効利用にもなるでしょう。 
 さて、実はこの空港でも税関でスタンプをもらえることがあります。もしガイドや通訳と一緒に空港に行く場合はその指示に従ってください。そうでない場合は、これは運試しです。取り敢えずチャレンジしてみましょう。 
 テーゲル空港の税関は、メインホールを入ってすぐに見つかる黒い大きな掲示板の下を通り、その右側になります。(ちなみに左側は警察で、その二つの間の通路を通り右に曲がったところに、スーツケースが出なかった時のための受付があります。)この税関担当者がスタンプを押してくれればよし、そうでなければルール通りにEU圏内最後の空港の税関に行きましょう。 
 私自身がグループや個人のお客様をお連れする場合は、大体はうまく行きます。けれども年に一回ぐらいは堅物の担当者がいて、お客様に残念な結果をお伝えすることになります。 
 いずれにせよ、最初から頭ごなしに乗り継ぎ空港の税関に行くように指示されるということは少ないです。幾つか質問を受ける場合は、この時の受け答えによって担当者がスタンプを押す気になるように持って行きます。「フランクフルトの乗り継ぎ時間が短いのでここでスタンプをもらえるとありがたいです」というセリフはよく使います。 
 めでたくスタンプを押してもらえたとしましょう。Global Blueという会社の書類の場合は、税関の横の通路のところにある受付で手続きできます。とは言え、これもテーゲル空港が不便になってしまった事例の一つになりますが、現金で返してもらおうとすると一つの書類に付き3ユーロの手数料を取られます。クレジットカードがあるならばそれに入金してもらうか、または封筒に書類を入れて投函する場合は、その3ユーロは払う必要がありません。

 ここまでがテーゲル空港でスタンプを獲得して消費税払い戻し手続きを完了するテクニックについてです。以下はその一つの例ですが、もう一つのテーマである「日本人とドイツ人の違いについて」を含んでいます。 
 欧米には日本には無い「個人主義」が存在するとか、また「ドイツ人は厳格だ」というような言い方がありますよね。そうすると、「じゃあ日本式はダメなのか」とか「日本には日本の厳しさがあるのじゃないか」と考えたくもなりますが、そういったことについての一つの説明にはなるでしょう。 
 次にご紹介する事例は十数年の間に三回ぐらいありましたが、その中の最初の時のことを書いてみます。私は七、八人のお客様を連れて税関に向かったのですが、税関担当者は三人いて、そのうちの一人が他の担当者とはまったく異なる対応を取ったのです。 
 いつものように税関の部屋に入り、このグループはこれから日本に帰国するのだがここでスタンプをもらえるとありがたいと各担当者に伝えました。確か二人の担当者はすぐに了解してくれました。ところが、三番目の人だけはこれからどこを経由して帰国するのか、いつ日本を出発したのかなど、ゆっくりと事細かく聞いてきます。購入した商品だけでなく旅行中に宿泊したホテルでのルーミングリストも見せるように要求してきます。(旅行者ならばホテルに宿泊したはずで、各自がグループのメンバーならばそこに名前があるはずだということのようですが、これはここ数年でたまに聞かれるようになりました。また、現在では税関のところの自動ドアはなくなり、受付カウンターはフロアにむき出しになっています。したがって部屋の形にはなっていません。)  
 残りの二人の担当者はひたすらポンポンと書類にスタンプを押し続けるのに対し、この三番目の男性だけが「独自の調査」を続けます。後から思うに、この担当者が特に意地悪をしていたのでもなく、その時のお客様が「如何にもドイツ在住の日本人に見えるから」といった訳でもなく、ただ単に「調べるべきことは調べる」という原則で仕事をしていたようなのです。もし三人ともこういう態度だったならばわかりやすい話ですが、一人だけガチガチなので、私もその場では「この担当者はどういうつもりなのだろうか」などと考えてしまいました。 
 すべてドイツ語の質問なのでお客様の代わりに私が答えるのですが、もちろんこの方には何が起きているかはまったく伝わっていません。そこでそのお客様に一度部屋の外に出ることを提案しました。そして数分ぐらい時間をとり、改めて中に入って別の担当者のところに並ぼうとしました。するとその恰幅のいい担当者に、「あなた達はこっちにいたじゃないか」と呼び止められてしまいました。私は心の中で天を仰ぎ、その瞬間に他の担当者に視線を向けました。少し笑いを押さえていたような雰囲気でした。同僚の仕事ぶりがこの日本人にどのように受け止められていたかを理解していたのでしょう。 
 このグループは日本からの旅行者で、そしてこの空港でスタンプを得ても問題ないと他の二人の担当者は判断しているのです。ところがその隣にいる三番目の担当者はそんなことには一切お構いなく、ひたすらルール通りにそして自分のペースで確認し、そのために業務処理のスピードに大きな違いが出ているわけです。 
 あの税関の担当者達の場合は極端でしたが、ドイツでは二人の担当者のうちの片方がニコニコしていて片方が仏頂面というのはよくあります。以下はあくまでも私にとっての印象ですが、ドイツでは「紙に書かれたこと」を各自が厳格に守るように努力はしますが、それぞれの解釈に多少のズレがあっても気にしません。また、書かれたこと以外についてはそもそもあまり考慮しないようです。(その代わり、誤解の許されない部分については長文の説明が加えられます。) 
 日本の場合は「紙に書かれたこと」をそれぞれのグループがその場その場で解釈し、そしてその「統一解釈」の方への全員の一致が好ましいと考えるのが普通だと思います。(グループが違えば解釈にもズレが出るでしょう。)さらに、「空気を読む」ことによって直接「紙に書かれたこと」以外の部分で「一致」することもある程度は必要ですよね。その点では日本はドイツよりも厳密と言えるかもしれません。日本人による接客サービスは多分世界一でしょうが、それはここから来ていると解釈しています。 
 旅行をするときには名所旧跡などの「場所」もいいがそこに暮らす生身の「人間」を見たいという方には、テーゲル空港の税関「訪問」は一興かもしれません。普通の意味で幸運ならば、ここで消費税払い戻しの手続きができます。たとえそれがうまく行かなくても、人間観察の面で幸運ならば、日本ではお目にかかれないような担当者の振る舞いを見学できるでしょう。

2016-03-29

第30回、個人旅行で飛行機にてベルリンに来る場合について、その1


 ベルリンはイースター休暇も終わり、そして日曜日に夏時間に入りました。日曜日の深夜2時になるときに時計を3時にセットするのですが、この結果日本との時差は7時間となりました。そろそろベルリン観光を考える人が増えてくる時期でもあり、これからしばらくはそういう方のための内容にしてみます。 
 日本からベルリンに来る場合、現時点では飛行機の直行便はありません。大体はフランクフルト経由になるでしょうが、とにかくある経由地からベルリンのテーゲル空港に到着することになります。 
 このテーゲル空港は様々な点で他の空港とは一味違うのです。
 本来ならばベルリンの南東の外れに新空港が完成し、その後でテーゲル空港は閉鎖される予定でした。何度かの変更がありましたが、2012年の6月には新体制に移行することになっていました。新空港はベルリンの中心部からは遠いので、西ベルリンの中心からタクシーで20分程度の距離にあるテーゲル空港の方が便利でいいなと個人的には思っていました。すると、新空港が開港する約4週間前に当たる5月の初旬に、その計画が突如延期になったのです。 
 テーゲル空港はと言うと、6月には全体が最終的に閉まる予定だったので、5月の段階で幾つかのお店ではシャッターがおり始めていました。ところがそれからしばらくして再オープンしたり、別の店が出来たりと、本来ならばありえない光景を目の当たりにしました。「苦笑」という言葉はこういう時のためにあるのだなと実感したものです。 
 一応この新空港は来年に開港予定ですが、それを信じる人はほとんどいません。これまでも何度も延期されてはその度ごとに改めて開港予定日が定められたという経緯があるため、「狼少年にはもううんざり」といった雰囲気です。隔年開催の「ベルリン国際航空宇宙ショー」が今年の6月にあるので、その頃にはまた新情報なり噂なりが出回るでしょうが、まさに「神のみぞ知る」といったところでしょう。 
 仮にも先進国ドイツの首都であるベルリンにそんなことがあるとは信じられないといぶかる方もいらっしゃるでしょうが、この町には結構このような「トホホ」な事例があるのです。こういうところもひっくるめて味わうというのがベルリンを楽しむ作法の一つと言えるでしょう。2011年にはお客様に対して、「次回ベルリンに来られるときには新空港を使われることになるでしょう」などと申し上げていました。そういう方とテーゲル空港で再会する場合には、「いや、色々ありまして」というセリフから会話が始まることもあります。 
 さて、こういった背景があるため、テーゲル空港のサービスには残念ながらかなりの制約があります。ベルリン州の財政的な問題があるので、この空港には最低限のメンテナンス費用以外はお金をかけられなくなっています。あとはもう、「お察しください」という言葉しかありません。取り敢えずここでのお買い物にはご期待しないでください。商品の種類も少ないですし、ここで買う意味はほとんどありません。エールフランス航空やKLMオランダ航空のエコノミークラスのチケットで日本に帰国する場合は、少なくとも2016年3月末の時点では、機械を使って自分で搭乗券の発券手続きを行うことになります。ポジティブに捉えるならば、サービスというものはお金のないところでは難しいという真理を学ぶ良い実例になったとも言えるでしょう。 
 ただし、ベルリン市民にとってはこういったことはそれほど問題にはなりません。まさかわざわざこの空港まで買い物に行くはずもなく、またドイツ語を理解できるならば指示に従って行動するだけです。それよりも何よりも、ベルリンの中心地から近いことの方がメリットとしては大きいです。さらに、この空港はとても小さいので、空港内の移動距離がわずかで済むということもあります。新空港は無ければ無いで困らないというのが多数派の意見ではないでしょうか。もっとも、この状態が続くとベルリン州の財政難はさらに深刻化し、特に2019年ぐらいから第二、第三の「トホホ」な事例が出てくるでしょう。 
 色々書いてきましたが、特に個人旅行の形でテーゲル空港にお越しの場合は、このような事情があるということをご理解いただいた方がいいでしょう。さらに補足するならば、最近は盗難が多くなっています。「スーツケースから10秒間手を離したら盗られると思ってください」とお伝えするようにしています。まあこれは大げさかもしれませんが、注意するに越したことはないでしょう。

2016-03-05

第29回、『裸の王様』について、その2

 前回はハンス・クリスチャン・アンデルセンによる『はだかの王様』の解釈を出したが、今回はそれを踏まえて考えたことを書く。詐欺師が出てくるだけあってこの物語には随所に論理のすり替えがあり、それに対応した各人物の心情の変化が描かれている。この流れを「正直な人が嘘つきと一緒に嘘をつくまでの過程」というテーマを通して見ていく。 
 前回も指摘したように、この作品については、イエスマンの家来の言葉を信じ込んで状況を判断できなくなる王様の物語という理解が一般的である。だが原作では王様も話の途中で布が存在しないことを自覚し、さらに最後まで嘘をつき通している。
 今回も前回と同様に、基本的には青空文庫版をテキストとしながら、私の持っているドイツ語版とネット上に見つかった英語版を参考にする。これからから引用する場合には前回同様、角カッコ([]のこと)を付ける。
  
 町の人々が自称布織職人である二人の詐欺師に騙されて良い評判を立てたのがそもそもの始まりであった。その上で、素晴らしい布ではあるものの、「自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人にはとうめいで見えない布」の話が出回った。 
 もしこの話が本当ならば、その布を見ようとしたが駄目だったと言って残念がる人がいたはずである。町の人々の全てが異口同音に自称職人を素晴らしいと言っているなら、この時点で何かがおかしいのである。この二人が嘘つきでないと仮定する時に敢えて考えられるのは、その布がまだ宣伝の段階にあり人々がその実物に接していないという場合か、または実物を見せられた人の中に嘘つきがいる場合である。いずれにせよ、町での評判は判断基準にはなりえなかったのである。 
 ところが、町の人々というのは押しなべて正直者だと見なされる。正直者たちの間での評判がいいということから、その詐欺師も正直者であるかのような錯覚が生じる。正直者ならば彼らの作る布も本物であるに違いない。話が途中ですり替わっているのだが、王様が町の噂を鵜呑みにしたのはこのような理由からと思われる。そしてこれが全ての間違いの根本的な原因であった。 
 詐欺師に服を注文した王様は、仕事の進み具合を確認するためにまずは大臣を、そして役人を派遣する。その際には自称職人が詐欺師ではないと前提した上で、自分の家来の中で誰が布を見ることができるかと考え、賢くて有能で信頼のおける人物という観点のみを考慮している。 
 だが本来は、「自称布織職人が詐欺師かどうか」の見極めこそが第一に問われるべきであった。このときには話は変わる。「蛇の道は蛇」であり「毒を以て毒を制す」というが、プロ級の嘘つきかまたは詐欺についての知識や経験のある人が選ばれるべきであった。もっともそうすると今度はその判定者が王様に嘘の報告をするかもしれず、確かにこの人選には難しい面があった。いずれにせよ、詐欺師かどうかの判定には向かない人物が選抜されてしまった。 
 大臣にしろ役人にしろ、その二人の布織職人は詐欺師ではないと仮定し、自分には布は見えるはずだと固く信じていた。ところが布が見えない。本来ならばここで「布は存在するのか」という問題を考えるべきだったが、その代わりに自分の愚かさやまた仕事上の能力について自問自答を始める。好人物にありがちな話だが、問題が起きた場合は自分の落ち度をまず先に検討し、時には相手の側の問題に注意を払うことを忘れてしまう。特に今回は自分の名誉と仕事、つまり全人生がかかっているので、他人を気にする余裕がない。 
 ここで忘れてはならないのは、「二人は他のみんなには布が見えると思っていた」という点である。これまた好人物であるが故に、どうせ他の同僚も似たようなものだという不真面目な考えにはならず、自分だけが布を見ることができないものと判断してしまった。そこで、「布は存在する」と前提しながら、「それならば他の人にとってはどういう見え方になるのだろうか」と考えてしまった。 
 その詐欺師の側では大臣と役人を前にしながら実に巧みに話をすり替えていく。「布が見えるかどうか、そもそも存在するのかどうか」が核心なのだが、そこのところを一つ飛び越えて、大臣と役人のそれぞれに「そのデザインが良いかどうか」について質問する。それも、いかにもファッションに関心の無さそうなこの二人にである。自分は愚かで職務に相応しい能力も持たず、さらにデザインのことなどよくわからないという良心の呵責を二人の家来から引き出し、不安感を煽りながら、詐欺師たちは「布は存在するのかどうか」という問題を隠してしまった。 
 王様は事態を完全に誤解し、布は信頼すべき大臣と役人には見えても自分には見えないのだと受け取る。町の人にも自称布織職人にも見えているのだから、それこそこの世で唯一自分だけが見えないという気持ちかもしれない。だがもし正直に自分には布は見えないと言えば、その場で王様としての引退を宣言するようなものだ。とどのつまり王様は保身に走り、布を褒める。とは言え、ここまで追い込まれたらもう他に手はなかっただろう。王様はまさに政治的判断をして、見えないものを見えることにした。「布は存在する」というそこでの前提が正しかったら、とにかく他人の意見に合わせておくというその方針は正しかったかもしれない。 
 王様は二人の詐欺師に『王国とくべつはた織り士』という肩書を与え、その「布」で作った「服」を着てパレードに出る。町の人々はやはり自分の立場を守るために王様の服を称賛する。王様からすればそもそも町の人々のいい評判を頼りにして自称布織職人を信じたのである。ところが彼らにとっては王様がその服や自称職人を素晴らしいと見なしているのでその相手をしているだけである。この時点で王様の側と町の人々との間に騙し騙される関係が成立し、詐欺師は後ろに退く。 
 こうして全ての人が嘘つきになった。ここまでの彼らのスタンスは、「他人にはその服が見えているはずだ」というものである。 
 彼らはひとえに保身のために見えないものを見ていることにしている。ところがそれに該当しないのが小さな子供である。正直に服が見えないと発言することにより自分に何が起こるかを理解していないようであり、そもそもまだ仕事をしていないから失業の心配もない。 
 子供は、[「でも、王様は何も着ていないよ。」]と言う。ここから大人たちは微妙にスタンスを変え始める。町の人々は、自分のことは棚に上げながら、[「王様は何も着ていないぞ、あそこにいる小さな子供が言ってるのだが、王様は何も着ていないぞ。」]と触れ回る。そしてしまいには全員が「王様は何も着ていないぞ」と叫ぶ。大人たちは本音の部分では「自分の目に自信を持つスタンス」に変化した。しかし建前の上では、「他人がそう言っているので自分もオウム返しにそう繰り返しているだけだ」という保身のスタンスを継続している。 
 王様は人々の声を聞き、内心ではその通りだと同意する。つまり「自分の目に自信を持つスタンス」に転換する。もしここで王様自身も「王様は何も着ていないぞ」と言えばコメディである。次には詐欺師による「王様は何も着ていないぞ」という詐欺の自供が続き、彼らが牢屋に入ることになったかもしれない。 
 しかし王様がこの場面で何も着ていないことを認めたら、これまでとは全く反対の理屈から王様が愚かで王としての資格がないことが立証されてしまう。もはや服が存在しない場合でも、また存在していてなおかつ見えない場合でも、王様には破滅しか残されていない。したがって、事ここに至っては服が存在する振りを続けるしかない。町の人々が愚かであるかまたは仕事上の能力に欠けるのであり、自分だけがまともだとアピールする。つまり、表向きは、「その服は他人には見えないが自分には見えている」というスタンスを選んだのである。「他人に合わせる」というものから「他人と自分を区別する」という在り方への変化でもある。

 以上が、本来嘘をつかないはずの人々が嘘をつくようになるまでの過程である。こうして振り返ってみると、パレードの話の辺りから詐欺師が登場しなくなるところが面白い。大人たちがお互いを欺きあっているため、この人間関係においては服は存在していることになっている。このように詐欺師のもとを離れてこの服が自立して「存在」した時点で、それを取り囲む大人たちとの間に一つのシステムが出来上がっている。この人間関係から外れている小さな子供によってこのシステムは動揺するが、それでも王様の保身のためにはこの服は存在し続けなければならない。王様は心ならずも最後まで詐欺の片棒を担ぐ羽目になってしまった。 
 この論理展開について次回にさらに掘り下げようかとも考えたが、それはまた別な機会にする。とにかくこの話は予想外に面白かった。

2016-02-16

第28回、『裸の王様』について、その1

 ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805年4月2日 - 1875年8月4日)の『裸の王様』を知った最初のきっかけは、多分子供のころに観たテレビアニメかあるいは絵本か何かだと思う。アンデルセン自身はデンマークの童話作家だが、日本国内でもこの短編作品はほとんど常識と言っていいだろう。但しネットで検索した限りでは、子供にお勧めの作品というよりも、大人にとって参考になるものだという意見が目立つ。 
 青空文庫に収録されているので今回読んでみたが、登場人物の心の動きがリアルで読み応えがあり、また短いストーリーの中に実に緻密な論理展開があることに感動した。こんなに面白い作品だとはまったく想像していなかった。そこで、考えをまとめてみることにした。 
 原作を読んでみて気づいたのだが、この作品は誤解されて伝わっている。例えば大辞林の第三版では、「裸の王様」という言葉は次のように解説されている。「直言する人がいないために、自分に都合のいいことだけを信じ、真実を見誤っている高位の人を揶揄する表現。」確かにこのような意味合いで「裸の王様」という言葉は使われているので、辞書の説明としては間違っていない。しかし、原作での王様は布の制作の進捗状況を自分の目で確認し、それが存在しないことに気付いている。それでも布は存在すると言わざるを得なかったところがポイントになっている。 
 さて、本来ならばその青空文庫版をテキストにして考えたいところであり、原則としてはそうするのだが、今回は少々細かい事情がある。この物語のオリジナルはデンマーク語であり、それを英語に訳したものを底本とし、それをさらに日本語に訳したのがこの青空文庫版ということだ。この底本がどうやら私の持っているドイツ語版の本やネット上にある英語版と違っているようなのだ。この二つの内容は大枠で一致し、そして青空文庫版にはこれらと比較した時に抜けている個所や意味の異なる個所がある。したがってそのような場合には独訳と英訳の内容を優先し、私の方で和訳して角カッコ([]のこと)を付けながら引用する。(独訳はInsel Taschenbuchから出ているAndersen Maerchen 1 it 133。英訳は以下のサイトから。http://www.andersen.sdu.dk/vaerk/hersholt/TheEmperorsNewClothes_e.html)  
 こういういきさつもあり、今回はまず作品全体の基礎的な解釈だけを出し、次回以降でこの作品をきっかけとして考えたことを書いていく。
  
  王様は「ぴっかぴかの新しい服が大好き」である。[自国の兵隊]や「おしばい」やまた[馬車で森にいくこと]にも興味がない。つまり、普通の王様にとっての実務や趣味には関心がない。いつもいる場所は[議会]ではなく「衣装部屋」である。いわゆる王様らしさがなくて美しい服のことしか分からないということだが、これがこの後の展開の伏線になっている。 
 王様の住む町は「いつも活気に満ちて」いる。そこに二人の詐欺師がやって来る。「自分は布織職人だとウソをつき」、「世界でいちばんの布が作れると言いはり、人々に信じこませ」ることに成功する。「とてもきれいな色合いともようをしている」が、「自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人にはとうめいで見えない布」だと言う。 
 こうしてその服が見えない場合の二つの条件が提示される。ここでもう一つ注意すべきなのは町の人々がすでに騙されていることである。その二人が素晴らしい布織職人であることはもはや町の中の常識なのである。 
 その話を聞いた服好きの王様は次のように考える。「もしわしがその布でできた服を着れば、けらいの中からやく立たずの人間や、バカな人間が見つけられるだろう。それで服が見えるかしこいものばかり集めれば、この国ももっとにぎやかになるにちがいない。さっそくこの布で服を作らせよう。」 
 アンデルセンの作品には『おやゆび姫』のように現実にはあり得ない設定のものもあるので、この作品世界の中でもこういう布は存在しうるらしい。王様に対して好意的に解釈するならば、確かにこういう道具が本当にあれば人事に客観性が出るだろう。でも本来は王様自身にある程度そういう人物評価の能力が備わっていてしかるべきであり、王様はそういう能力を鍛えようとする代わりに道具に頼ろうとしている。その一方でこの王様は美しい服が何より好きである。したがってこの服は王様の二つの要望に合致している。 
 自称布織職人に服を依頼した後で、王様はその進捗状況を確認したくなる。「もし布が見えなかったらどうしよう」という考えがちらつく。ここで作品の中の語り手が王様の心情を説明する。「王さまは王さまです。何よりも強いのですから、こんな布にこわがることはありません。」それでも王様は用心して、「けらいの中でも正直者で通っている年よりの大臣」を選び、はた織りの仕事場に派遣する。「この大臣はとても頭がよい[し、彼以上に職務を果たす人は他にいない]ので、布をきっと見ることができるだろう」という判断だった。したがって、この大臣自身も、自分には必ずその布が見えるはずだと頭から信じていたことだろう。他方では、この年配の大臣にファッションへの関心があるとは考えにくい。 
 現場についた「人のよい年よりの大臣」に対して自称布織職人は、「からのはた織り機」を指さしながら、[素晴らしい模様でまた美しい色ですよね]とたずねる。ところが布が見えないので大臣は呆然とし、自問自答が始まる。[「自分はバカなのだろうか、これまでそんなことは考えたこともなかったが、これは誰にも知られるわけにはいかない。今の仕事に相応しくないのだろうか。いや、布が見えないなどと言うわけにはいかない。」]二人の詐欺師から布についての感想を急かされた時に大臣は、[「いや、これは美しい、ほれぼれする」][「この模様にそしてこの色、私はとても気に入ったことを王様に伝えよう」]と言ってしまう。詐欺師は布について詳細に説明するが、大臣はそれを注意深く聞きその通りに王様に報告する。 
 王様は状況の確認のためにさらに別な人間を任命する。「根のまっすぐな役人」だが、「しかし、役人も大臣と同じように、見えたのはからっぽのはた織り機だけ」だった。この役人はまず、[「自分は断じて愚かではない」]と思う。[「ということは自分にふさわしくない仕事をしているのだろうか。それはありえない。でもこのことを誰にも知らせるわけにはいかない」]と考える。見えてもいない布についてその場で[美しい色で優雅な模様だ]と褒め称え、王様にも[「ほれぼれしました」]と伝えた。 
 町ではその噂でもちきりになる。今度は王様自身が「たくさんの役人」を連れて見学に出向く。この中には先の二人も含まれている。二人の詐欺師は熱心に仕事をしている芝居をする。そして前にここに来た大臣と役人の二人が[「見事でございましょう」]と褒め始める。[「陛下、こんなにも素晴らしい模様と色でございます。」]語り手による次の一文は重要である。「そして、二人はからのはた織り機をゆびさしました。二人は他のみんなには布が見えると思っていたからです。」 
 この時点で四人の人間が服を「見ている」ことになる。他にも役人たちがいるが、彼らは王様の出方をうかがっているので取り敢えず黙っている。もちろんこの二人の詐欺師は優秀な職人として町では有名になっている。王様は完全に外堀を埋められてしまった。 
 王様は心の中でつぶやく。[「何だ。何も見えない。これはひどい。私は愚か者か。王として相応しくないのか。こんなに最悪の事態が起こるとは。」]そして口に出して言った。[「これは素晴らしい。」]語り手がここでも王様の意図を読者に伝える。「何も見えないということを知られたくなかったので、からっぽでも、布があるかのように王さまは見つめました。」その後で残りの家来も王様に続いた。
 この「布」からできた「服」を着て王様はパレードに出る。詐欺師によると蜘蛛の糸と同じくらい軽いそうだ。町の人々は熱狂的に王様の服を絶賛する。語り手が人々の気持ちを解説する。「だれも自分が見えないと言うことを気づかれないようにしていました。自分は今の仕事にふさわしくないだとか、バカだとかいうことを知られたくなかったのです。」 
 ここで小さな子供がしゃべる。[「でも、王様は何も着ていないよ。」]まずはその子供の父親が叫ぶ。[「なんてことだ。無邪気な子どものたわ言なんだよ。」]すると誰もが次から次へと子供の言葉を伝え始める。[「王様は何も着ていないぞ、あそこにいる小さな子供が言ってるのだが、王様は何も着ていないぞ。」]ついには全員が[「王様は何も着ていないぞ」]と叫ぶ。バカと言われたり仕事を失うことへの恐れがないので子供は見たままをしゃべったのだが、大人は子供の責任にしながらその言葉を伝え、服が見えないという自分の感覚に徐々に正直になっていった。 
 王様も皆の言う通りだと思って震えたが、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない」と考え直し、「そのまま、今まで以上にもったいぶって歩」く。服が見える私だけが賢くまた王に相応しいのだというポーズである。 

 以上が全体についての基本的な解釈である。次回は「正直な人が嘘つきと一緒に嘘をつくまでの過程」を考える。

(2016年3月2日に大辞林からの引用を加筆しました。)