世界時計

2015-07-01

第25回、パリ出張についての覚え書き、その2

 前回と同様に今回もパリの出張についての話である。守秘義務に抵触しない限りで書いていく。
  
 六月十七日。ドイツでは展示会の開催期間にはその町のホテル代が二倍に値上がりすることもある。今回のパリも似たようなものだったと思われる。この日に別のホテルに移るので、それまで宿泊していた高い料金の安宿をチェックアウトし、荷物を持ってお客様のホテルに向かう。
 この日の午前中はお客様のブースで受付をした。もうこの業務にはすっかり慣れているので、その前を通りかかる人々に話しかけては名刺を獲得していく。ところが一度ハプニングがあった。英語とフランス語しか聞こえないはずなのにいきなりドイツ語で「Herr Kawanabe、どうしてここにいるんですか」と話しかけられた(Herrは英語のMr.と同じ)。頭の中が真っ白になった。 
 そこには二人の男性がいて、そのうちの一人には確かに見覚えがある。話をしてみると、メッセベルリンで昨年開催されたInnoTransという鉄道関係の展示会で会った人だった。そのときの私のお客様の相手方である。そのドイツ人は鉄道だけでなく航空産業にも関わっていたのだった。今回のお客様の関係者にこのコンサルタントをつなぎ、ベルリンでの再会を約束してお別れした。その後に再びフランス人と英語で話そうとしたが、頭の中のドイツ語を押さえ込むのに難儀した。
 午後にはまた別の日程が入っていたが、前日に続いてまたも役得があった。本来ならば立ち入り禁止の場所で見学できた。 
 会場の中では、来場者の移動のためのミニ鉄道の形をした自動車が走っていた。これが壁やら自転車やらとよくぶつかっていて、双方が苦笑いをしていた。ドイツではまずこういうことはない。パリの人は荒っぽいという印象を持った。
 会場を後にして一度解散する。この日に宿泊するホテルに向かう。普通のホテルならば広いロビーがあるはずだが、そこのホテルの場合は、台所にあるようなテーブルが一つ置いてあるだけのスペースだった。如何にも「近所に住んでます」というような四、五人のフランス人が酒を飲みながら談笑していた。今回は間際になって自分でブッキングしたので、お客様の宿泊するホテルに近く、安眠できそうで、ネットに接続できるという基準だけにしていた。 
 前日同様に夜もあるレストランに向かった。私は主として注文の際のヘルプの役回りで同席しているのだが、この日は特にメニューが余ることもなく、まずまず上出来だった。
 そしてホテルに戻る。最上階である六階(ヨーロッパ的には五階)の屋根裏部屋で、エレベーターがない。窓を開けていると下からの光で空が明るく感じられる。深夜一時を過ぎても街の喧騒が伝わってくる。パリを舞台とするプッチーニの『ラ・ボエーム』というオペラをドイツに来てから四、五回観たことがある。このときの部屋の雰囲気や家具調度品、さらには階段などの安っぽさと古っぽさが、そのオペラの中の情景に実によくマッチしていると面白がった。 もしここにクリスマス期間中に来たらもっとそうなるだろうと想像した。
 六月十八日。今回のパリでは初めてとなるケーキを食べた。モンブランが見つからなかったのが心残りである。日本では当たり前のあのケーキは、ドイツでは滅多に見かけない。仕方なく違うケーキを食べたのだが、ベルリンにあるフランス系のケーキとそれほど変わらなかった。次回はもっとパリのケーキについて調査しようと決意した。
 ベルリン行きの飛行機に乗るときには幾つかのドラマがあった。列に並んでいると、前日に展示会で会ったあのドイツ人コンサルタントに再び出くわした。そして席も近いところになっていた。こちらがつないだ相手とミーティングをして、いい話ができたとのことだった。搭乗するまでにはかなり待たされ、やっとの思いで飛行機に乗り込んだ。そのときになって初めて、航空券を購入したGermanwingsではなくAir Berlinの機体であることに気づいた。こういうこともあるのかと驚いた。
 大体こんな感じだった。実はパリに行く直前に事件があり、この出張をキャンセルするかどうかの瀬戸際に追い込まれたのだった。無事に終了してまさにほっとしている。 
 そう言えば、十回以上やり取りしてる航空宇宙産業の専門家の知り合いがいるのだが、このドイツ人にも今回のパリ滞在期間中に会った。ここ数年はこの業界での環境問題に取り組んでいる。ここ数年のうちにこれが大きなテーマになるらしい。日本とドイツが何らかの形でこの分野で手を組めるようになるといいなという話をしている。この人は日本に対して思い入れを持っているのである。ベルリンに住む一人の日本人として、日本とドイツの航空宇宙産業分野での発展を願っている。