世界時計

2015-05-03

第22回、物事を肯定的に見る方法(『Groundhog Day』についての1) 

 まだ東京に住んでいた頃にある人から幾つかの映画を薦められた。レンタルビデオ店で借りて順番に見ていったが、本当に気に入ったものもあった。そのうちの一つが『Groundhog Day』である。ベルリンに来てからはDVDを購入して視聴した。 
 この映画はビル・マーレイ主演の1993年の作品である。グラウンドホッグ(groundhog)とはモグラに似た動物である。毎年2月2日にアメリカのペンシルベニア州のパンクスタウニーという小さな町で、この動物が主役となるグラウンドホッグデーという行事が開催されるそうだが、この映画ではほとんどその「一日」だけが描かれている。邦題は『恋はデジャ・ブ』であり、その名の通り確かに恋愛がテーマの映画とも言える。ドイツ語版の題名を日本語に直訳すると、『そして毎日グラウンドホッグが挨拶する』となる。上映時間101分で笑える箇所も多く、気軽に見られる映画である。まだ見ていない方には是非お薦めしたい。以下ではこの映画の批評ではなく、これを手掛かりにして考えたことを書いていく。 
 次の段落からは映画の内容を一部含み「ネタバレ」になるので、くれぐれもご注意いただきたい。また日本語の字幕付きのDVDが手元にないので、引用の際には英語から適宜日本語に訳す。 
 
 自分の置かれた状況に不満を持ち、そして「毎日同じことの繰り返しだ」と嘆く人が別の世界に迷い込むという話は、SFものにはありがちなパターンである。この作品においては、主人公がある年の「2月2日の世界」から出られなくなる。この人物はその行事をテレビ番組でレポートするために、男性の同僚と女性の同僚との三人でこの町を訪れる。そして一人であるペンションに宿泊し、2月2日の朝6時にごく普通に起床する。一日を終えて眠り、目が覚める。すると、再び2月2日の朝6時の「世界」に戻っている。どうやら「2月3日の5時59分」の次に「2月2日の6時」が来るらしい。何度も経験する「2月2日」の記憶は維持され、そしてピアノの練習効果なども持続するが、肉体疲労や怪我などは次の「2月2日の6時」に回復する。ほとんど不老不死のようなものである。 
 今回は「物事を否定的に見る態度」について、次回は「同じような毎日を繰り返すこと」について取り上げる。 
 最初にこの男性の性格を確認しておく。「世間なんて馬鹿ばっかりだ。」(People are morons! )と言ってのけるし、同僚の女性からは「自己中心的というのがあなたの性格の最も特徴的なところよね」と批評される。自分には才能があり名声をつかむはずだと主張するものの、その女性からは「あなたは仕事の話はしないわよね」と指摘される。 
 次にこの女性の性格だが、乾杯する時には世界の平和を祈り、広大な海(ocean)よりも家族で乗るためのボートを選ぶタイプである。男性と正反対の性格ということであろう。 
 さて、何度も繰り返される「2月2日の世界」の中で、この男性は社会的規範を気に留めなくなる。何をしようがまた失敗しようが、どの道また「2月2日の6時」がやって来て、全て元通りになるからである。自分の周囲に対する否定的傾向がほぼ完成する。
 そして同僚の女性を口説こうとする。女性から「あなたは自分以外の人間を愛さない」と批判され、「いや、自分自身も愛してないよ」と受け返す。何度も失敗し、絶望する。挙句の果てには自殺を試みるが、何度繰り返しても全て無効となる。 
 主人公は他者を否定するとは言え、この女性にだけはそれができない。そして先の言葉に暗示されているように、逆に自分を否定する方向に進んだのだが、これでその女性以外の全てを否定することになった。ところが自分を何度滅ぼしても「2月2日の6時」に戻ってしまうので、自殺を諦める、つまり、自殺も否定することになった。またこの自殺には、自分と女性との人間関係を終わらそうとする意味もあった。したがって、この段階で自分を含めた全てに対する否定がほぼ完成する。 
 残るのは、そのようにありとあらゆるものの価値を否定すること自体を否定すること、すなわち、それらをこれまでとは別の方法で受け入れることだけである。ここで主人公の価値観が大きく転換することになるが、こういう時には周りに善人がいるかまたは悪人がいるかで精神的変化の方向がある程度決まる。この男性の周囲にいたのは小さな町の悪意のない人々と同僚の二人であり、そのうちの女性の方は善良さのかたまりのような人物である。この女性に対する恋愛感情も手伝って、この男性は女性の価値観の方向に接近し始める。
 さらにその後ではホームレスの老人の死にも立ち会う。この人はそれまでの主人公の判断基準からすると、恐らく最も無価値な人間であったはずである。そういう人物の老衰死に心の底から感情移入できたことから、主人公は人間一般を受けられるようになる。この出来事の後からは、これまで嫌っていた人も含めて、ありとあらゆる人を大事にするようになる。 
 こうした一連の出来事をきっかけとして、主人公は他人のために生きるようになる。人を助けることや、人が欲しいと思っているものを与えることのみを考える。 
 そもそも反復される「2月2日の世界」の中では、他人にはほとんど何も期待できない。どんなに相手に働きかけても次の「2月2日の6時」において全てがリセットされてしまう。こうして他者への愛は見返りを一切求めない愛の形を取った。
 もしその場所が大都会であったらまた話は変わったかもしれないが、実際は小さな町であり、さらに期間はわずか一日しかない。これでは社会的に活躍するというのは無理である。その代り一人一人に目を向けやすい。この「世界」に迷い込む前の段階では遠くを眺めて近くを疎かにするようなところがあったが、ひたすら自分の周囲を見守る人間へと変身した。最後はとうとうこの町で生きていくことを決意する。 
 自分の接する全ての人間を慈しみ、そして相手からはもはや何も欲しがらない。以前のように自分のその場限りの欲求の充足が第一で他者は二の次というのではなく、他者の喜びが自分の喜びとなる。自分に本当に必要なのかどうかも分からない広大な海を支配するよりも、自分と他人の乗るボートを守ること、つまり、他人を守り他人と自分との関係を守ることに専念する。男性の価値観は、その対極にあった同僚の女性の価値観に沿うものとなった。 
 主人公は自分と他者を区別した上で自分が他者の上に立っているかどうかを意識していたが、この場合は他者か自分を必ず否定することになる。「他者の喜びが自分の喜び」というあり方においては、互いに喜びを分かち合うので自他の区別が解消され、両方を受け入れることになる。
 最後に、この男性に人生のテーマとでも言うべきものがあった場合を考えてみる。繰り返される「2月2日の世界」の中でひたすらそれを追求することになりそうだが、自分のテーマと他者の幸せのどちらを取るかという問題が生じるのではないかと想像する。もちろんそのテーマが社会に貢献するものであれば矛盾しないかもしれない。 
 今回は結局人生の内容の話になったが、次回は人生の形式について考える。 

(5月10日の追記。題名及び一部の内容を変えました。)
(5月17日の追記。この男性の変化の根本的な原因は、自殺すらも諦めたところにあると考えるようになりました。それに応じて内容を一部変更しました。)  
(5月18日の追記。また一部を修正しました。)

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