世界時計

2014-10-04

第4回、1キロメートルを測定する神の話(無限についての1)

 大分前になるが、ベルリンに住んでいるある芸術系の友人と数字の0と1について話したことがあった。そして二年ぐらい前のある日、「今度友達と歌を歌うことになったので作詞をして欲しい」と言われた。内容について尋ねると、「ものすごく訳が分かんないけどしかし何十年か後に思い出すと深いと思えるのがいい」とのことだった。もちろん私はこれまで作詞など一度もしたことがない。でも要するに哲学的な中身にすれば自然とそうなるだろうと受け取って了承した。
 その頃たまたま「アキレスと亀」という話について考えていたので、これを題材とすることにした。どういうストーリーにしようかと案を練っているうちに幾つかの大きな発見をした。歌詞のことをそっちのけにしてのめりこんだが、友人には申し訳ないことをしてしまった。
 これとは別に、他のアーティストと無限について話したこともあった。この手の話題は普段の生活においては中々出てこないので、そういう機会はとても貴重である。
 このブログのタイトルを「ベルリンで考えていること」としたのは、「ベルリン」かまたは「考えていること」をテーマとするという意思表示である。今後は何回かに渡って「無限」について「考える」。
(このようにここでは書いたものの、いいタイミングが来るまで待つことにしました。
 
 さて、今回は一つの話を創作してみた。ギリシャ神話風に神を主人公とし、「1キロメートルを測定することは可能かどうか」というテーマにした。人間を超えた能力の持ち主だがまだ子供の神であり、算数は苦手で、いたずら好きのため別の神から罰を受けるという設定である。それから、ここで一つ約束事を入れておく。例えば1を3で割った答えを小数で表現する場合は3が無限に続く数となり、これは循環小数と呼ばれる。以下では、簡単に表示するために0.333…と表現する。
 その話の中身はこうである。「この巻き尺を使って1キロメートルを測りなさい。但し、1キロメートルを少しでも超えて伸ばしたら巻尺は壊れます。精確に測れたら知らせなさい。」思ったよりもずっと軽い罰だったと子供の神は内心喜んだ。
 巻尺の一方の端を固定した上でそれを持って歩き始めた。伸ばし過ぎないようにと注意しながら、999メートルに到達し、そこから90センチ、そしてさらに9センチを通過した。つまり0.99999キロメートル分の巻尺を伸ばしたことになる。
 精密に測らないとまた叱られるし、そして巻尺を伸ばし過ぎてはいけない。そこで、小数点の桁を一つずつ下に降りていきながら9の数を見つけることにした。例えば、神々の使うこの巻尺を左から右に伸ばすようにして使う場合、0.99999キロメートルの目盛りのところには、実際には0.99999000…というように「9の後に0が無限に続く数」が表示されている。そこで巻尺を少し伸ばしながらその最後の9の一つ下の位の目盛りをよく読み、右側に向かって九つ目の目盛りを見つける。そこには9が一つ増えた0.999999000…という表示がある。これを繰り返していけば、必要以上に巻尺を伸ばすことなく、いつかは1キロメートルが見つかるはずだと考えた。
 子供ではあっても神は神なので、どんなに小さな目盛りであっても、また数が無限に並んでも、全く問題ない。わずかずつ巻尺を伸ばしながら細かく目盛りを読んでいく。しかし、この作業を何度繰り返しても、新しい桁で新しい9が見つかるだけだった。挙句の果てには、どうしたら1キロメートルを測ったことになるのかが分からなくなってしまった。
 このままやっても9が一つ増えていくのを見守り続けるだけだ。そこで今度は、巻尺をほんのわずか余計に伸ばすことにより、0.999…という「0の後に9が無限に続く数」そのものの目盛りを探した。これならば1を超えることはない。そしてその目盛りはすぐに見つかったが、そこには「1」とも書いてあった。子供の神にとっては何が何だかよくわからないが、とにかくこれで1キロメートルになった。めでたし、めでたし。
 知っている人とそうでない人に分かれるだろうが、「1=0.999…」というのは一つの事実である。このことを知らない人には訳が分かんない話であり、知っている人には途中からネタがばれていたかもしれない。これはウィキペディアにも「0.999…」という項目として取り上げられている。小学生レベルで考えるならば、1÷3の結果は1/3(3分の1)であり、同時に0.333…でもある。それぞれに3を掛ければ「1=0.999…」となる。(これはつまり、分数の場合だけでなく、0.333…という循環小数で答えを表現するときでも、余りは全くでないということでもあります。)
 それでは幾つかの点をまとめておく。
一、この神があの調子で1を「永遠に」探し続ける限りでは、それはそれで、0.999…を通して1キロメートルを提示していたことになる。つまり、子供の神は巻尺の目盛りの中に1キロメートルを探すというよりも、まさに身をもって1キロメートルを再創造していたのである。アート作品を見つけて指し示すつもりでいたのに、自分自身がその作品の一部になってしまったので、どこに作品があるのかが分からなくなったようなものである。
二、上記の要領でどこまでも小さい数を探せるということは、0.9から1までの間の数が途切れることなくつながっている(つまり連続している)ことを意味する。普通の物差しで考える場合、目盛りの或る部分が汚れると、そのために見つからない数が生じ、その物差しはそこで一度途切れていることになる。これと理屈は同じである。
三、0.999…というのは普通にはイメージしにくい数だが、それは9が無限に連続している様子を人間の目で一度にかつ完全に見ることができないからである。しかし「神の目」を想定すると話は変わる。そもそも整数の1にしても循環小数としては1.000…となる。これらに含まれる無限を一度に完全に見られることを想定するなら、整数の1も循環小数の1.000…0.999…も、意識のしやすさの点では変わらなくなる。

 そのうちまた無限について考える。多分次回は「アキレスと亀」の話を取り上げる。 
 

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